それから、僕達は行動を共にするようになった。一日の大半を彼女と過ごすようになり、喧嘩もしたし互いの思想の違いについてだって口論をした。朝起きて、まずすることは、彼女がそこにいるかどうかの確認である。いつも僕ばかりが先に起きるわけではないので、彼女も同じ役をすることが多々あった。
体調を崩せば一日中つきっきりで看病するし、遊びに出かけるのだって離れることはなかった。
十年。
長いようで短く感じた月日の流れ。
夢でも見ていたんじゃあないかと思うような日々だった。
「修二、ドレス、変じゃないかな」
十和は、僕の前でくるりとまわって、ドレスを披露した。
「ああ、いいと思う。もう少し、大胆でもよかったんじゃない?」
軽く本気を混ぜて冗談を言う。
「ふふ、言うと思ったわそれ。これでもお父様にはかなり譲歩してもらったんだから」
背中は大きく空いていて、胸元を強調しきらないように設計されたドレス。控えめにあしらわれたフリルが、僕の嗜好にあっていた。
「スカートのとこ、スリット入っててもよかったかもな」
僕の本気の発言を、彼女は軽くスルーした。
「そう言えば、今日は此乃戲の機関の方たちも出席されるみたいよ。」
軽くじゃなかった、大きく流れた。
気を取り直す。僕は答えた。
「…へえ、珍しいな。此乃戲機関って言えば、天馬機関に次いで巨大だと言われた機関じゃないか」
まさか素直に祝福しにきたわけではあるまい、そう言うと彼女は答えた。
「それが、どうもそうみたいなのよ」
僕は聞き返す前に考えた。
此乃戲機関が打ってくるはずの手、可能性のある事象。
しかし、考えるような時間もなく思考は止まる。
止めざるを得なくなったというのが本当のところだ。
「っ…」
頭の中で、何かが一度見えていった。
大きく体が揺らいで倒れそうになる。
「修二、どうしたの?」
十和が駆け寄ってきて支えてくれた。
「あ、うん、ちょっとふらっとしただけだから…」
そうは言ったものの、少し気分が悪かったりする。
その場で深呼吸を繰り返し、息を整えた。
「…ふう、ごめん、もう大丈夫だから」
「本当に?顔色悪いし…修二、本当は」
二の句を告げさせる前に僕が言った。
「大丈夫、だから。急ごう、時間も迫ってきてるだろ」
十和を無理やり制して、足を進めた。
僕が見たのは、古い記憶。
空を飛ぶ少年と、舞い上がる鳥の形をした炎だった。
僕達が招待されたのは、天馬機関の新社屋完成を祝うパーティーだった。
マスメディア各局のレポーターやら、政治家やらが主な来賓として呼ばれていた。
新社屋というのは、ビル群の中にではなく、人里離れた深い山奥に造られた。
あの大火災以来、元々のビルがあった場所は今や観光名所になっている。ビルは取り壊されず、中にあるものはそのままに、だ。
何故焼け落ちたビルを残しておくのだろうか。
気が狂っているとしか思えなかった。
此乃戲機関というのは、天馬機関に次いで資産を持ち、技術者も抱えていた実質No.2の機関であった。
此乃戲機関を代表する天草博士は、滅多に表に出ることがなくその姿を見た者は機関の人間でも極小だとか。
今日もきっと天草博士は来ないのだろう。
パーティー会場に着き、見知った顔の人たちに社交辞令を述べたりして、時間を過ごす。会場は人が溢れんばかりの混み具合で、正直面食らっていた。
時折足がふらつくことがあったが、持ち前の気力と根性でカバー。していたにも関わらず、今僕は休憩室でぐったりしていた。
「いい、大人しくしててよ」
まるで子供に言い聞かせるかのように十和は言う。
そんなに僕が小さく見えるか。そうじゃないのはわかっているが。
「ん…ごめん」
スーツの上を脱いだ状態でソファに腰掛けた。
「お父様たちには言っておくから、ね」
微笑んだ彼女が、寂しそうな表情を一瞬だけ見せた。
何年の付き合いになると思ってるんだ、気づかないはずがないだろ。
「十和」
名前を呼んで振り向かせる。僕はソファから立ち上がって彼女を抱き寄せた。
「きゃ…人、来たらまずいよ…」
声が上擦っていて、顔を見なくともその表情が目に浮かぶ。それくらい長い間、僕たちは一緒に過ごしてきたんだ。
「ごめんね。帰ったら、桜島の景色でも見に行こう」
折れそうなくらい細い肩を抱いて、僕は言葉を紡ぐ。
「…ん、絶対、だからね」
十和も、昔に比べれば大分聞き分けのいい方になったなと僕は思う。
「連れていってくれなきゃ、ひどいんだから…」
「はは、わかってるよ」
ほら、行きな、と十和から離れる。
ソファに戻ろうとしたところで、背中に柔らかな感触が伝わる。
僕は振り向くことなく、それに身を任せた。
細い両腕が僕の体にまわされて、ガッチリとホールドされる姿勢になる。
勿論、それをするのは十和しかいない。
「もう少し、だけ…」
それは、彼女なりの安らぎを感じる手段なんだろうなと僕は解釈している。
少しして、人の気配に気づいたのか、彼女は何も言わずに離れていった。
僕はやっと解放されたにも関わらず、安堵感と不安を入り交じらせた気持ちでいっぱいになった。
ソファに座り込み、仮眠をとるつもりで瞳を閉じた。本格的にまずい気がした。体の状態は洒落にならないほど、芳しくないみたいだ。
深呼吸をしていると、声をかけられた。
「あの、もし」
初老の老人がそこに立っていた。
「ひょっとしたら君は…園山…幸四郎君のご子息ではないかね…?」
園山幸四郎。久々に聞いた、父の名だ。
「え、ええ。そうですが、あなたは…」
口元の髭が立派すぎて、鼻の下に生えたものと鼻毛の区別がつかないぐらいで。
「ほほっ、漸く会えましたの。私は君を探しておったのだよ」
僕を?というか質問に答えてくれ。
「いやあまさかこんなところで会えるとは思わなんだ」
老人は一人でフィーバーしていた。僕にはこの事態を止める術がなかった。
「しかし、あれから十年、君は一体どこで何をしていたのだね」
「あ、ええと、森久教授のところで――」
「森久、というと森久雪衣嬢のことかね」
何だこの爺さんは。
「え、ええ…そうですが…」
「そうか…あの子ももうそんなに高いところに登りつめたのか」
この爺さんが何を言っているのか、僕にはわからなかった。
「あの、話が見えないんですが…」
「ん?おおすまんすまん、この歳になるとどうしてもな、何もかもが懐かしく感じてしまうのだよ」
爺さんは懐からメガネを取り出して、それをかけて言った。
「君の両親、園山幸四郎君と柚歌君、それに森久雪衣君――この三人に工学技術を教えたのは私だよ」
意外な言葉が出てきた。
「え…?」
爺さんは真面目な顔つきで言った。
「紹介が遅れたね、私は」
僕は耳を疑った。
「此乃戲機関会長、天草修柄時宗だ」
彼がこれから語る話に、僕は体調を崩していたことを忘れるぐらいのめり込んだ。
「三十年ほど前かな。ちょうど九玄の研究会に出入りしていたころのように思うよ」
爺さん――否、天草老人は目を細めて言った。
「九玄というのはね、密室サイクルを研究していたところなんだ」
「密室サイクル…?」
「密室サイクルと言うのはね、起源の象徴である始祖を、その名のとおりに密室に隔離して我々人類の誕生から発展、そして終焉を明らかにしておくために行われたプログラムなんだ」
終焉を明らかにする?
「当時は研究会と言っても、事の偉大さに気づく人間が全くと言っていいほどおらなんだ」
「あの、それとこれとどういった関係が…」
「ふむ、まあ急くな若人。最初はよかったんじゃが、一年ほど経ったころだったかの」
視線は窓の外にやられる。外は夕暮れを迎えていた。
「研究会の上役たちが研究を放り出したのだ」
部屋の外からは明るい談笑が聞こえている。
「これには私も困り果ててな、外から通う研究者も私ぐらいしかおらなんだ」
偶に聞く話によくあるパターンだった。
「いつしか、残っていた者もいなくなり、私一人になってしまった。そんな折に」
咳払いをして、天草老人は向き直る。
「まだあの頃は学生をしていたのだろう、三人の若者が私の下を訪ねてきた」
「三人…ですか」
「ああ、三人だ。一人の青年と、二人の令嬢――」
天草老人は僕の方を見てにこやかに微笑んだ。
「園山幸四郎と小野原柚歌君、そして森久雪衣君だったのだよ」
この爺さんが、両親と森久氏に工学技術を教えた。
「三人とも、まだ大学生でね。若かったよ」
しみじみと天草老人は語る。
「こう言ったんだ、彼らは。あなたのお話を伺ってきました、僕らにも手伝わせてくださいとね」
「…」
「不思議なものだと思ったよ。九玄の研究会が放置された情報が流れた翌日じゃったからな。今更誰も九玄には期待をしてはおらんかったのにの…」
「果たして、三人を私は迎えいれ、研究を続投させる為に新たな機関を設営した」
新たな機関――。
「それが此乃戲機関なのだよ」
「此乃戲機関…」
「所長は私が務め、三人には最初は密室サイクルの研究を引き継いでもらった。彼らは、一年程して密室サイクルを完成させて、国からの支援を受けるようになった。その後は自らの研究に没頭し、此乃戲機関を去っていった」
僕には何だか信じられなかった。両親や森久氏が、此乃戲機関を敵と見なしていたと思っていたからだ。でも本当はそうじゃない。
「君が産まれた時、一度会っているんだがね…さすがに覚えちゃいないだろう」
全くの真逆だったんだ。
結局、僕は休む間もなく、ずっと天草老人の話を聞いていた。両親のこと、研究のこと、今日のパーティーに出席した理由から、何から何まで聞き出した。
途中、何度か人の出入りがあった。その中には森久氏もいたし、他の機関の研究者もいた。森久氏が来た時には、二人はとても仲良さそうに話をしていた。
十和が顔を出したのは、夕陽の光が差し込むような時間だった。
「遅くなってごめ…あら、天草のおじさま」
部屋に入るなり、修二よりも先に天草老人に声をかけた十和。
「おお…しばらくじゃのお嬢さん」
天草老人もそれに応じる。
「え…知り合い?」
僕が首を傾げて、十和はくすっと笑う。
「あは、そういえば修二には何にも言ってなかったよね…」
「え、何、十和は爺さんのこと知ってたの?」
「うん、知ってた」
まさか、まさか十和まで知っていたとは。
あれ、これひょっとして知らなかったの俺だけ…?
「どしたの修二、まだ気分優れない?」
「いや…何でもない」
頭を振って、気をとりなおす。
「さて、それじゃ私はそろそろお暇しようかの」
「あらおじさま、もう帰っちゃうんですか?」
「うむ、まだ研究もあるからの。久しぶりに長々と話をしたわい」
「…天草老人、今日はどうも」
僕は深々と頭を下げた。
「ほっほ、なに、軽いもんじゃよ」
懐かしい話もできたしなと、天草老人は言って。
「今度うちに来るといい、また、ふるい話でもしよう」
そう言って、天草老人はその場を後にした。
パーティも終わって、僕と十和は先に帰宅することになった。
雪衣さんたちは片付けや挨拶まわりがあるとかで、今夜中には帰れそうにないと言っていた。
まだ、完全に回復したわけではないので、多少足元がふらつく。
隣を歩いていた十和によりかかるように、僕は傾く。
「もう…大丈夫じゃないんでしょ、本当は」
呆れたような、心配したような、どちらともつかぬ声をかけられる。
「はは、ま、ね…」
「それと…修二、のご両親のこと、聞いたんでしょ」
「へ…」
何故わかったのだろうか。
「顔に書いてあるよ。すっごく、どうにもならない気分だってこともわかる」
本当、十和には敵わないなと思う。
「帰ったら、よしよしってしてあげるから」
言われて軽く抱きしめられて。
「大丈夫よ、怖くない、怖くない。ね」
僕は少しだけ安心した。
家に帰って、僕はシャワーだけを浴びて、その後すぐにシャワーを浴びに行った十和を、じっと部屋で待っていた。
今夜見る夢を、想像することもなく。
僕は、幸福と不幸を夢でみた。
つづく。
「カムパネルラを殺したのは僕だ」
少年一人、少女が一人、大人の男と女が一人ずつ。
丘の上の、夜景が綺麗な場所で、少女が告白したのはまさしくそれだった。
「そんな、まさかお前が」
「カムパネルラは僕にとって、本来あるべき姿だったと思っているんだ」
少年の問いかけるような言葉に返すことをせずに少女は続ける。
「まるで、本当の僕がそこにいるかのような気分だった」
少女はくるりと、月明かりの下でまわる。
風が吹いて彼女の長い髪とスカートを揺らした。
細い線をした身体は、おとされた月明かりに影をとられる。
「自分を殺したも、同然だ」
少女の瞳は紅い。紅く、染まっている。
「じゃあ、君は、自分が二人と存在してはならないからと言う理由であの子を殺したって言うのか!」
男が怒鳴った。
「違うよ、そうじゃない。僕は、カムパネルラ自身は僕の本来あるべき姿だと思っていたから殺したんだ」
だから、殺したんだ。
「さよなら、諸君。僕はこのまま逃げさせてもらう」
そういって、彼女は丘から飛び降りた。
満面の笑みで、彼女は落ちていった。
丘の向こう側は、急な傾斜のある斜面で。
ゴツゴツとした岩肌が露出していた。
誰もが呆気にとられていた。
少年も、男も、女も。
見ているだけしかできなかった。
落ちていく少女を見ているだけしか。
「本当だ!僕、見たんだ!」
誰一人信じちゃくれなかった。
「空を飛んでいたんだ!きっと何かあったんだよ!」
僕の目に映るその姿は、正しく。
「本当なんだ、信じてよ…」
僕は、あの日。
「見間違いなんかじゃない、あれは、本物の――」
僕はあの時、アトムを見た。
別段暑いわけでも寒いわけでもない日だった。その日、僕は一人、厳島霊園の両親の墓前にたっていた。
両親が事故で他界して、もう十年になる。歳月というものは流れるのが早い。
両親はロボット工学の発達における時代の急成長に伴い、その技術を得て、後に残るあるものをつくりあげた。
それはオメガエンジンと呼ばれた。
両親が他界した原因、形式上は実験課程での不慮の事故ということになっている。
それもどこまで信じていいのかわからない話だ。二人が所属していたのは、天馬機関と呼ばれる組織だ。
彼の天馬博士がその道のエキスパート、もとい、マッドサイエンティストを世界中から呼び集めた研究機関――それが天馬機関だ。
ロボット工学に始まって、先端技術、量子論、果ては環境、心理学に至るまで、あらゆる領域の権威がこの天馬機関に所属していた。
僕の両親は、先述のとおりロボット工学に通ずる技術者で互いに信頼をおいていたかと思えば、毎日のように口論を交わすような夫婦だった。
そのくせ、子どもである僕には滅法優しかった。
あの日、僕が両親と最後に交わした言葉は、辛辣なものだった。
「今日は遊びに連れていってくれるって約束したじゃないか…!」
ある春の日のことだった。ずっと仕事仕事で、滅多に遊びに連れていってもらうことのできなかった僕に、我慢の限界が訪れていた。
「すまない、急な仕事で…」
「ごめんなさい、私たちが行かないと研究が進まないの」
どこか控え目に言いつつも、両親は引くことがなかった。
「知らない…二人とも勝手だ!」
両親が辛そうな顔をしていたのはわかっていた。
でも、まだ小さな僕には、それを許すだけの余裕なんてなかった。
「二人とも、僕のこと、いらないんだろ…仕事だけあればいいんだろ!」
乾いた音が部屋に響いた。左の頬がヒリヒリする。
「そんなこと…ないわよ…」
顔をあげると、母さんが涙を瞳にためて僕を見つめていた。
「二人とも、いなくなっちゃえばいいんだ…!」
そう叫び、たまらなくなって僕は家を出た。両親の顔が歪んだのを見た気がした。
走って走って、走りつづけた。
息もあがって身体もバテたころ、自分が泣いていることに気づいた。
一番近くにあるベンチに座って、呼吸を整えた。陽は天高く、煌々と輝いていた。
一日中、そこのベンチに座っていた。
気がつけば夕方は過ぎて、夜の闇が辺りを包むころだった。
重い足を引きずって家へと向かう。どうせ帰ったって誰もいないことはわかっている。
人気のない真っ暗な道を歩いていると、赤い光がくるくると、回って近づいてくるのが見えた。
ぼーっとその光を見ていた。ああ、綺麗だな、暗闇にその赤い光は映えた。
光は僕の前で止まった。
「園山幸四郎教授、ならびに園山柚歌教授の御子息、園山修二君だね」
中から人が出てきて、僕の名前を呼んだ。
「天馬機関で、君のご両親が研究中に事故が起きた。巻き込まれた可能性がある、ご同行願いたい。」
事故。
両親。
二人は無事だろうか。
不吉な予感がした。
天馬機関は、この街の中心に位置するビル街の、中心にある第七号棟ビルの中にあった。
テロ犯罪の絶えない時勢だったこともあり、外側からの防御は完璧に近い。
ただ、内部で事故が起こると、その頑丈さ故に発見自体が遅れることがある。
両親は、その天馬機関で研究をしていた。
オメガエンジンを完成させた両親が、今している研究は、強きを挫き弱きを助ける、言うなれば人型ロボット――コードネーム「アトム」だった。
その「アトム」に組み込むための回路の実験をしていたのだ。
「アトム」ができれば、人々の暮らしのために貢献できる。
「アトム」ができた暁には、日本の技術力は大幅に進歩する。
「アトム」が――両親が何度もそう言っていたのを覚えている。
その「アトム」の研究が最終段階に入ったということで、両親はせっかくの休日を潰した。
オメガエンジンがどういった働きをするのか、僕が知ることは何一つなかった。
天馬機関のビルは炎上、逃げ遅れたのが全体の四割で、死者は700名に及んだのを知ったのは翌朝のことだった。ビル周辺では交通規制によってできた渋滞で、道はごった返していた。
夜の闇にその炎はよく映えた。まるで、闇夜を羽ばたく火の鳥のように。
いや、それは正しく真の火の鳥だったのかもしれない。
炎が収まるまで、三日三晩を要した。家とビルを何度も往復したのを覚えている。焼け跡から運びだされるのは人の形をした物体ばかり。それは見るに堪えないものばかりで、気分を悪くする野次馬も大勢いたそうだ。
僕はと言うと、特にそれといった感想などはなかった。そこで既に気が気でなかったのかもしれないが、とにかく、僕は何も感じなかった。
両親の遺体と対面できたのは、更にその翌日。両親共々、真っ黒に炭化していた。周りの大人たちは苦い顔をしていたが僕は何とも思うことはなかった。
両親は互いに親類と疎遠で、僕にはいわゆる親戚というものがいなかった。
そんな僕の両親の葬儀を執り行ってくれたのは、母の親友であった森久雪衣その人だった。
この国に所属する技術者のうち、約半数を占める45%が天馬機関に所属していた。今回の火災で更にその半数、20%にあたる人間が死んだ。
国にとっての大打撃となるこの大参事を、十歳だった僕は理解しきれなかった。
いや、理解できなかったとでも言えばいいだろうか。
僕が後から知ることになったこと――ことの真相。時として真実は残酷だと、僕は知った。
全てが始まり、そしてそれは終わりへと向かって歩を進める。
思い出に浸るのはやめだ。
僕は真実を知って、また一つ成長をする。
「修二!早くしないと遅れるよ!」
背後からの声に振り返る。黒いドレスの女性が僕を呼んでいた。
「ああ、今行くよ」
もう一度両親の墓前で手を合わせ、拝む。涼しげな風がざあっと吹いて、僕の視線を空へと流す。ああ、今日はいい雲が流れている。
「修二!」
二度目の呼びかけに、そろそろと足を向けて歩きだす。
彼女のかぶっているレースのついた大きな帽子がとてもかわいらしく思えた。
「もー、遅れたら修二のせいだからね」
ツンとした態度の彼女は、森久十和。森久氏の娘だ。
僕が森久氏に引き取られるより以前に、何度か顔を突き合わせてはいた。二、三言会話をした記憶はあるが、面と向かってきちんと会話をしたのは僕が森久氏に引き取られてからだ。
しかし、一緒に生活をすることになった最初のころは、お互いにあまり話をすることはなかった。
森久氏も僕の両親と同じく国のエキスパートであったがために、家にいることは少なかった。十和の父親は政府の関係者で、彼もまたあまり家にはいなかった。
彼女の両親は、僕にも優しくしてくれた。まるで僕を本当の家族のように大事にしてくれた。また、それが寂しく感じることがなかったとは言いきれない。
今はもう別々の部屋だが、当時は十和と同じ部屋で過ごしていた。元々、十和の部屋は広すぎるぐらいの部屋だったので、初めて彼女の部屋に入った時は「どこまでこいつはお嬢様なんだ」と対抗意識を燃やしたりもした。
一緒に生活するようになって一ヶ月、僕は大分この家に馴染むことができた。唯一問題点があるとすれば、十和との会話が挨拶以外にないことだった。
会話ぐらいしなくても共存はできるだろうと思っていた節もあったが、そんなはずもなかった。
偶然、十和の両親が仕事で、一日だけ家を空けることになった。
家には僕と十和の二人だけになった。
夕飯も終えて、風呂にも無事入ることができた。後は寝る以外の選択肢がない。
僕はすることもなく、さほど眠たくはなかったが早々にベッドに入ることにした。
十和と同じ部屋で、ベッドは別々。彼女は僕が眠りにおちるまで勉強をしていたみたいだった。
夢を見た。両親と出かける夢を。あの日、僕が両親と行く予定だった場所。楽しそうに、僕は笑う。両親も、微笑みを絶やさない。
それは簡単に崩れる。
夢は目覚めれば消えるのだ。
夢を見た対象者を要に、様々な要因を引き起こして。
いつも、目覚める時は寝汗で体中びっしょりとぬれている。酷い夢だと、僕は思う。僕の中で両親の出てくる夢は酷い夢だと認識されているようだ。
やはりこの状況こそが、僕を拘束しているのだろうか。有り得ないはずのことが起きるからこそ、それは夢でありその夢を酷いと認識することによって僕は、何度も繰り返し同じ夢を見る。悪夢と称すのに相応しい、そう思う。連日見るこの悪夢から逃れる方法はないのだろうか。
体中に、べたつく汗を拭うために、僕は日課とも言わぬばかりにパジャマの上を脱ぐ。十和を起こさないようにして部屋をそっと抜けて、洗面所にタオルを取りに行く。慣れたもので、大体の位置は電気をつけなくともわかるようになった。
「あれ…おかしいな」
いつもの場所にタオルがない。仕方なく電気をつける。いきなりの光の点灯に一瞬だけ目が眩む。しかしそれもわずかのことで、すぐに目は慣れた。
洗面台の鏡に映る、汗をびっしょりかいた僕。実は、よく眠れているはずなのに目の下にうっすらとクマがある。何だ、やっぱり寝不足なんじゃないか。
部屋に戻ってベッドに入る。当分は眠れそうにないが朝まではまだたっぷりと時間があるので大丈夫だろう。
目をつむって意識を落ち着ける。耳に入ってくる風の音が心地よくも恐ろしく感じた。衣擦れの音と共に、違和感のある音が聞こえた。
まさか、とは思うが一応確認してみようか。
「…」
何も言わずに、十和のかぶっている布団をはぎ取る。
ベッドの上で丸まって、泣いている十和の姿があった。
「…泣いてるの?」
ゆっくりと、彼女は体を起こす。
「…ぐす…だ、って…」
顔中涙でぐちゃぐちゃで、髪もまだ乾ききっていなくて。
「何で、泣いてるの?」
気になって、聞くことにした。
「…パパも、ママもお仕事で…ひっく…」
「うん、いない、ね」
何故だか穏やかな気持ちで、僕は彼女のベッドに腰かけた。
「いつもはへいきなのに…怖い夢…みて…」
怖い夢。悪夢だろうか。
内容は聞かないまでにしても、僕と同じだったのか。
「…一緒だ」
「いっ…しょ…?」
まだぐずっている彼女に僕は言った。
「僕も、怖い夢をみたよ」
おかげで体中、汗でベトベトだったよ、まるで真夏の毛布みたいだよなと。
彼女の前でおどけてみせた。
「…」
あれ、ここは笑うとこ…だよな。
「…そっか…」
軽く流されて、少し戸惑う。
「一緒、なんだね…」
彼女は泣き止み、何を思ったか僕を抱きしめた。
「え…なに…?」
何が何やらよくわからなかった。
「…一緒、だもの。あたしと…」
そう、か。そうなのだ。
僕は寂しかったんだ。
「は…はは、ははは」
渇いた笑い声が、口から漏れて、次いで涙が頬を伝った。
彼女は僕の顔を見て、もう一度抱きしめた。
「はは…ふぁ…ひっ…」
涙が止まらなくて。どうしようもなく寂しくて。
抱きしめてくれている彼女のぬくもりが暖かくて。
寂しかったことに気づかされて。
僕は泣いた。
朝が来るまで泣いた。
全てを吐き出すかのように。
自分の気持ちを、洗いざらい彼女に伝えた。
僕の奥底に眠る全てを、僕はそこで一度全て吐き出した。
彼女もまた、同じように全てを吐き出して。
また泣いて、慰めあって。
僕と彼女、園山修二と森久十和は、お互いの存在を確認しあい、仲を深めることになった。
それから、泣きつかれた僕達は、一枚の手紙を書いた。誰も起こさないようにと、一言だけの手紙。
リビングの机の上に置いておいた。十和の両親のどちらかが帰宅すれば見るはずだ。朝日が上っていた。
僕達は一緒のベッドで寄り添うようにして眠った。
互いの手を握りながら、離さぬように、離れぬように、と。
圭が失踪した。
いつもと変わらない夜だった。
いつもどおりに、彼と過ごして、夜を迎えた。
僕は隣で寝ていたんだ。
「なあ、俺がもし」
うとうとしかけた時に圭は言った。
「もし、いなくなったらどうする?」
それが、原因だったのかもしれない。
「ん…わかんない…」
眠気に押されて、曖昧な返事を返した。
それだけ覚えている。
「…おやすみ」
頭を撫でてくれたその手の感触は、まだ残っている。
それが、一昨日の夜の話。
半日ぐらい、いなくても、夜には帰ってきて、またいつもの夜をすごせるだろうと思っていたんだ。
帰ってこなかった。
今までに、こんなことはなかった。
あるはずが、なかった。
起きてはならない出来事だった。
これが、僕をある一つの事件に巻き込む要因となろうとは思いもしなかった。
「昨日、帰ってこなかった」
家の中にはもとよりいない。
家中はどこも探しつくした。
玄関に靴はない。
果たして圭は、どこへ行ったのだろう。
一人分の珈琲を淹れて新聞からニュースから、ネット記事の果てまでをチェックする。
過去の誘拐事件から、現行で解決していない事件を洗いざらい探し出す。
圭がいなくなった状況と共通点をもつものを重点的にだ。
とは言うものの、共通点なんてそんなにはない。
一つ目は、自宅からいなくなったということ。
二つ目は、深夜から明け方にかけていなくなった。
それ以上、思い当たらない。
別に喧嘩していたわけでもないし、何も問題は無かったはずだ。
少なくとも、僕はそう思う。
僕がそう思うだけで圭がどう思っていたかはわからない。
そんなことはないはずだ。
「なんで、こういうときに限って」
圭は、束縛されるのが嫌だからと携帯電話を持つことをしなかった。
僕は一応持ってはいるが、登録してある人数なんてたかが知れている。
圭と、圭の一番の親友と自称する高浪さんと、後は行きつけの美容院とか…。
要するに、役に立たないってことだ。
昨日の夜高浪さんには連絡をしたが、仕事が忙しいのかどれだけコールしても電話に出ることは無かった。
代わりに対応してくれた留守電機能の無機質な声に従い、伝言を残しておいた。
時間があけばすぐに連絡をくれるはずだ。
「…何も、言わずにいなくなるのは今までにもあったよね」
卓上に広げられたノートPCの横、僕と圭が二人で写っている写真に声をかける。
「でも、こんなに帰ってこないなんてことはなかった」
それが、こんなにも。
「寂しいなんて、さ」
何で僕は泣いているのだろうか。
涙が止まらない。
゛とまーらーないー゛
携帯が鳴った。
「高浪だ、遅くなってすまない」
涙をおさえ、僕は会話を試みる。
「高浪さん、すいませんお忙しいところを」
「どうした、泣いていたのか?圭が消えたってのは本当なのか?」
ああ、泣いてたのばれてるし。
別に泣いていたこと自体はばれてもよかった。
「ええ、どちらもあたりです」
「詳しく説明してくれないか」
高浪さんは要領よく理解してくれた。
一仕事ついたそうなので、今からこっちに来ると言ってくれた。
つづく。
「え、ちょ、これはまずい」
「いや、よけろよwww」
自然と、声が出る。
「ああ、シビレ罠あるけど麻酔玉ねえや…」
圭の顔が、僕を睨む。
「…さいあくー」
一言だけ言って、顔を画面に戻した。
かちゃかちゃと、ボタンを押す音だけが部屋に響く。
今日も月は綺麗だった。
「ああ、やっとおわった」
十五分と経たないうちに、PSPから手を離した。
「骨が折れるねこれは」
「捕獲したいからもう一回な」
本気ですかこの人は。
「…コンビニ行ってくるよ」
「あ、僕もいくよ」
椅子から立とうとして、止められる。
「だめ、お前は留守番な」
「えー…」
その代わり、と言って圭は。
「すぐ戻ってくるよ。それに」
圭の手が僕の上をなぜる。
「今夜は寝かせないから」
微笑んで、圭は部屋を出て行った。
「…今夜は寝かせない、か」
圭が照れる様子もなく言ったので、僕は面食らってしまった。
「どうせ、徹夜でモンハンなんだろうな…」