世界が崩壊する、ほんの三ヶ月前のこと。
都内、スクランブル交差点のど真ん中にて。
「よう神様」
「よう閻魔」
二人の男がすれ違う。
互いに声をかけあって、振り向いた。
「ひっさびさー。元気してた?」
神様と呼ばれた短髪の青年は言った。
「まーぼちぼちね。君こそどうなの」
閻魔と呼ばれた、白髪学ランの少年は問い返した。
「いやー、真面目な話、就職難でさー」
「んだよ、ニートかよ。だらしねえな」
互いに笑って、見詰め合う。
「どうにかなんねえのか、裏側の崩壊」
閻魔が先に口を開いた。
「どうにもこうにも、あれは俺の管轄じゃなくてな。努力はしてるんだけどね」
神様も、困ったように言う。
「どの道崩壊は止められない運命なんだ。ただ、あれを回避するための方法はいくつかある」
へえ、と驚いた様子もなく閻魔はぼやく。
「ならそれを人間どもに教えてやるのが、君の役目なんじゃないのかい」
「いやいやいや、閻魔である君がそれを言うの?らしくないね」
「だってよ、人間いなくなったら、俺のとこもお前んとこも仕事なくなるだろ」
「ま、ね。でもいいさ。少し休もうと思うんだ」
「バカンスでも行くの?俺もつれてけよ」
二人の会話は、いつの間にか他愛のないものになっていた。
これからどうするか、どうなるか。
それぞれのいく道を、二人は惜しげもなく示しあった。
「さて、じゃ、本格的に」
「おう、いってみよっかいつものやつ」
「………おい、いつものやつってなんだよ」
「いや、ノリでつい…」
「大体、いつもってほど会ってねえよ!月一ぐらいじゃん!」
神様はブチキレて、閻魔は申し訳なさそうな顔で佇む。
「気を取り直して、さて」
咳払いをひとつして、神様は続ける。
「世界崩壊のお知らせをするには、後二ヶ月の期間がいるよ。それまでに、こっちはこっちでやれることをやっとく」
いたって真面目な表情で神様は言う。
「おっけー。じゃあ俺も真面目にやろう。こっちも総力を尽くせるようにしとく」
「うん。あ、妖のとこはお前連絡しといて」
「えー…俺があいつ苦手なの知ってるじゃーん…」
「つべこべ言わない。こんどいい子紹介してあげるから」
等等。
到底、神様と閻魔の会話とは思えないものではあったが。
こうして、誰も知ることのなかった会話がここに綴られる。
さて。
話は、姉弟と女の話に戻る。
「ご飯、いっぱい炊いてありますんで、おかわりがございましたら仰ってくださいね」
年寄りでもない、若すぎるわけでもない。どちらかといえばまだ若い、四十もいっていないだろう、どこか艶がある。そんな女将さんの言葉を受けて、食事に箸をつけた。探しはしたが、やはり旅館なんぞどこも開いておらず途方にくれていたころに初めて人を見つけた。
畑から帰ってきたというところで、ひょっとしたら泊めてくれるんじゃないかって甘い期待を胸に話かけた。
結果がこれ。実は民宿の女将さんだという。
「だったら、うちに来てくださいな」
にっこりと微笑む彼女の名は、千鶴さんというらしい。
俺たちは二つ返事で答え、千鶴さんについていった。わかってんだ。千鶴さんの微笑む顔に陰りがさしていたのも。彼女の持っている袋から、見たこともない鳥の頭が出ていたのも。よく見えなかったけれど、着物の胸元から覗いていた入れ墨も。だから尚更、引くことができなかった。たとえ何が起きようとも。
「あ、このお漬け物おいしい」
「うちで漬けてるんですよ、それ」
「そうなんですか?あ、こっちの煮物もおいしい」
「それはですね…」
姉と千鶴さんの会話を余所に、俺は例の洞窟の話を聞こうと思っていた。
どのタイミングで声をかけようか迷うところではあるが…。
「ねえねえ、千鶴さんって美人よね」
いつの間にか会話を終えたらしい姉が肘で小突いてきた。
「あ、うん、確かに綺麗d」
わき腹に姉の肘が打ち込まれて俺は会話を無理やり中断させられる。
「っ…姉…ちゃん…」
「あら、どうなさいました…?」
咳き込む俺に、心配そうに声をかけたのは千鶴さんだった。
「何でもないんですよぉ。ね?」
姉が答えて俺に聞く。真犯人はあんたじゃないか。これが彼女とかだったらケンカになるだろうと俺は思う。
「さいですか…そういえばお二人は、恋人同士…には見えませんけど、こちらなは何用で?」
見えないのかよ、と姉が突っ込みたそうな顔をしているが俺は気にしなかった。
「ええ、観光で来たんですよ」
何とか持ち直して、声の張りを確認しながら俺は言う。
「観光…したら、下の鬼隠洞にですか」
千鶴さんの瞳が怪しく光った。…はずもなく、眉一つ動かすことなく言った。
「はい。先の世界崩壊のニュースは聞いているでしょう。だから俺と姉ちゃん、二人で最後に旅行でもって」
「仲がよろしいんですね」
「よく言われるんですけど、この子照れちゃうんですよいつも。姉ちゃんって言ってますけど、本当は恋人同士なんです」
姉の間髪入れずの言葉に思いきりお茶を拭く。
あらあらと千鶴さんはタオルを取りにいってくれた。
「ちょっと、汚いわよ」
「…誰のせいだよ。恋人同士って何だよ姉ちゃん」
「そのまんまの意味よん」
ニヤニヤと笑って姉は俺の頭を撫でる。他人に髪を触られるのは嫌だが、姉ともなればそれは別。しかし、今はそれも何だか嫌で、無理やり振り払った。
「な…拗ねちゃったの?」
「…」
俺は答えない。
「かわいいなあもう…」
それでも答えない。
「はい、タオル使ってくださいな」
千鶴さんが戻ってきてタオルを渡してくれた。
それからは、姉とは一言も会話をすることなく、湯浴みをさせてもらって早々に床につくつもりでいた。
月が綺麗だった。千鶴さんの経営する民宿、千鶴さんの生家だというこの家は、何度かの増改築を済ませているらしくとても広い。
鬼隠洞の話は聞き損ねたが、また明日でもいいだろう。
一つ、失敗したことと言えば。
姉にからかわれたぐらいで機嫌を損ねるのもいかがなものか。
俺と姉の部屋は隣同士であり、どちらの部屋からも廊下に出れば窓があり、外の景色がよく見えた。他の家より、高台のところにあるせいか、余計に景色が見える。鬼隠洞もまた、大体の位置が見えていた。
障子を閉めて電気を消した。月の明かりだけが部屋を照らした。
障子を少しだけ開けて、月を楽しむ。ただ見ているだけではあるが、窓から差す月明かりに見とれた。仰向けに寝転んだ状態で、空を見上げていた。すると人影、そのシルエットから千鶴さんだということがわかる。何か用かなと障子越しに視線をあげて驚く。
頭に、左右対になるぐらいの位置に二本の突起がある。
「起きて、おいでですか」
千鶴さんの声だ。
「は、はい…」
「私、実はお客さんに話してないことがありまして――」
「――」
ゴクリと唾を飲む。
「実は私――」
「私が受けた寵愛を気に食わないと大伯母様に言われて、私は蔵に閉じ込められました」
「僕がうっかりお客様の着物にスープをこぼしてしまった時は、誰かに階段から突き落とされました」
「…あたしは…服を脱がされて、背中に焼きごて…を…押し付けられました…」
「俺は水攻めにあった。狭い地下室に閉じ込められて、目隠しをされて、ずっと天井から垂れてくる水を顔に受け続けた。結果、精神がボロボロになった…」
四人の証言は、どれも部下の躾とは言い切れない過剰なものだった。
途端に、暗い表情だった四人の様子が変わる。
「でも、あの時の大伯母様の顔ったら、見ものだったわよね」
「うん。助けてぇなんて声出してさ。」
「…いい気味だった…よね」
「ああ、なんてったって、あそこにゃ――本物の鬼がいるんだから」
ケラケラと四人は笑う。誰に見せるでもなしに、気味の悪い笑い方で。
「――という話を昔聞いたことがある」
「なによそれ…」
どうせ世界が崩壊するならと、オカルトスポットでも巡ることにした。一つ目、鬼の潜む洞窟、鬼隠洞。
「その話は、今から100年ぐらい前の話らしいから…」
「だから、なんなのよ…」
姉の身体は心なしか震えているように見えた。
「ここがその、大伯母を閉じ込めたって洞窟だ」
目の前に広がる大きな洞窟。
その風貌からは、特に恐ろしいといった感想は得られない。何しろ、端から見ればただの洞窟だ。洞窟自体は封鎖されてはいるし、入り口は頑丈そうな鉄柵に、洞窟の入り口上部に群生している樹木の根が絡まって見事に入れなくなっている。
「…こ、怖くなんか…ないよ…?」
肩が震えております。説得力がありません、お姉さま。
「ま、その話の四人も、どうなったかってのはわからず仕舞い。そんな伝説があったぐらいにしか語り継がれないさ」
怯える姉を落ち着かせながら、頭を掻く。
「さて、そんじゃ次、行きますか」
「え、どこ、行くの?」
「郷土資料館と旅館、どっちがいい?っても旅館なんざやってないだろうけど」
だったら旅館と、姉は即答した。
素直なとこだけは、昔から変わらない。
夜になっても両親は帰らなかったので、夕飯は外に食べに行くことにした。
とは言ったものの、どの店もやっていない。個人経営の店ならまだわからないでもないけど、チェーン店すらやっていない。この様子じゃあコンビニもやっていないだろう。
「ねえ…どうする?」
「どうするって…どこも開いてないからどうにも」
これでは暴動が起きても仕方がないだろう。少なくとも、今はまだ平気だ。
「…買い物もできないしな…仕方ない、こういう時は」
「こういう時は?」
「…盗る、しかないと思う」
えっそれって泥棒じゃない?と言いかけて、止まらずに言い切ってしまった。
「でも姉ちゃん、仕方ないよ。どこもやってないんだし…」
私は言い返す気力もなく弟についていった。
「あら…腕をあげたわねあなた…なかなかやるじゃない」
結局、あのままスーパーに行って、モノだけをとって――と言うわけにはやはりいかなかった。とってきたモノに対して、誰もいないレジにお金を置いてきた。
少なくとも、私の心の靄は晴れた、気がした。
「姉ちゃん出てってから、母さんが入院したじゃん。そん時に覚えたんだよ」
そうなのか。我が弟ながらやるなと感心した。
昼間の話については、はぐらかされたようなもので、結局私が納得するような答えはもらっていない。
まあ、短めとは言えども時間はまだある。そのうち聞ければいいやと私は思った。
「で、何故俺のベッドを陣取っているのでしょうか」
風呂上がりの弟は怪訝な顔で言った。
夕食の後、すぐに両親が帰宅した。何とか整理券は手に入れたぞと喜んでいた。
お風呂に入ってさっぱりした後に久々に家族四人が揃ったのでと、懐かしい思い出話に興が乗った。父は普段あまり喋らないくせに、自分の書斎から持ち出した酒を煽るなり饒舌になった。母はどうやらザルのようで、恐ろしいことに四升を平気で空けた。弟もどうやらザルのようで、静かに呑んでいた。
日付も変わりかけたころ、父は弟に担がれて布団に突っ伏して、母は後片付けをしはじめた。私はと言うと、もうベロベロに酔っ払っている。足取りがフラつくのも頭がクラクラするのも気のせいではないらしい。
そんな感じで今、弟のベッドに腰を落ち着けていた。
「ふふー、お姉ちゃんは酔っ払ってなんかいませんよ」
「出たよ酔っ払いの常套句…居間に布団持ってってあるからそっちで寝ろよ」
「いーやーでーすー、君と一緒がいいんですー」
「…俺が居間で寝るわ」
呆れて出ていこうとした弟の服を掴む。
「ちょっとー…お姉ちゃんを置いてどこ行くのー」
「不機嫌になる意味がわからん…姉ちゃんが俺のベッドで寝るって言うからだよ。俺だって自分のベッドで寝たいよ」
「だから一緒に寝るのー」
力任せに弟の服を引っ張った。
「わっちょっ」
そのまま弟は私の上に倒れこんでくる。
「…力ないの?」
「いてて…姉ちゃんが強引だからだよ…」
「ふうん…あは、何か私、押し倒されたみたいだ」
私はケラケラと笑って言った。
「はあ…もう知らんよ…」
「ふふ…」
意識が急に遠くなる。あ、眠る瞬間って――
「姉ちゃん…?」
急に大人しくなった姉に声をかける。返事はない。ひょっとして寝たか。
やっと解放される。ゆっくり立ち上がろうとすると、何かに引っ張られている感覚に気づく。
「シャツ伸びるんだけど…」
姉の手はシャツを掴んだままだった。
「…今日だけだかんな」
ゆっくりと姉の手をシャツからはぎとり、姉の隣に寝転がる。
んん、と姉が寝返りをうった。何だか顔を突き合わせて眠るのは恥ずかしかったから、寝返りをさせ返した。
「…本当に、俺に会いに来たんだな」
呟いて、姉を背中から抱くような形で眠った。
朝のニュースを見てから、半日が経った。両親は我先に地球外移住のチケットを手に入れようと憤慨しに役所に行った。役所で申請して、整理券をもらうらしい。何だかゲームの発売日みたいだ。
テレビには、国際空港や宇宙センターに殺到する人々の姿が映し出されていた。
各国の首相達は、二週間後の二十日にはもう地球から脱出するらしい。移住先は火星だそうだ。
まさか普通のスペースシャトルで行くわけではないだろうと思っていたら、バカでかい戦艦みたいな、それこそ大和や長門みたいなのが造られていたらしく、予め地球崩壊の情報を得ていた奴らはもうそれに乗り込んでいたみたいだ。奇しくも、その情報を持っていたのは富豪と呼ばれるぐらいの層の人間たちだった。きっと、スラム街や経済的に発展が著しい国の人々が、地球に残ることになるのだろう。
国はどこまで国民をコケにするのか。
働く人がいるから国の経済は潤って、循環するのに。
そんなことを考えていたら、一人暮らしをしているはずの姉が訪ねてきた。
「よっ」
でっかいカバンを一つ持って、玄関で降ろした。
「姉ちゃん…連絡もなしに帰ってくるなってあ」
「最後に顔見せに来たのよ」
姉はにっこりと笑って言った。自分でチャームポイントだと言う八重歯がキラリと光った。
「最後って…ああ、そうか」
いきなりすぎて面食らってしまったが、世界崩壊のニュースはデマてはないみたいだ。
「そうよー。お父さんたちはー?」
姉はズカズカと上がり込んでいる。勝手知ったる他人…元我が家だもんな、勝手知ったるではない。
「役所に整理券もらいに行ってるよ」
言いながら姉のカバンを居間に運ぶ。
「そっかー」
冷蔵庫から出したと思われる牛乳をラッパ飲みしてから、ソファに深々と座り込む。
「ねえ、本当にあの隕石、地球に衝突すると思う?」
神妙な面持ちで姉は言う。
「まあ…あんだけ大々的にやるんだから、本当なんじゃないの?」
「ふーん…君は肯定派か」
何やらニヤニヤしながら姉は続ける。
「ちょっとこっちおいで」
ソファに半分ほど横になった状態で、姉に手招きをされる。
何の気兼ねもなしに、ソファの反対側、姉の足元に座った。
「…そっちじゃない、こっち」
何だか少しムッとしているようだ。仕方がないので反対側――姉の顔のある方に座る。
「気が利かないんだから――」
言われながら、起き上がった姉に抱きしめられる。座っていたせいか、胸がちょうど顔の位置にきて息苦しい。
「なんてねー、久しぶりだねぇ、元気にしてたの?たまには連絡ぐらいくれてもいいじゃないのよ」
うりうりと頭を撫でられる。姉は俺に甘い。これは単なるスキンシップの一種で、姉に会う度にされる。昔、まだ姉と一種に住んでいた時からの名残だ。
「…くるしいってば」
枯れたような声を出して対抗すると、姉のスキンシップは終わり、俺は解放される。
「あは、やりすぎ…てはないね」
ニコニコとした笑顔になれば、姉は誰にも危害を加えたりはしない。
「ふう…で、本当は何しに帰ってきたの」
ギクリとわかりやすい擬音を口から出して、姉は硬直する。
「なん、のこと、かな…?」
「や、いつもじゃん。姉ちゃんが連絡なしに帰ってくる時って大抵なんかあるじゃん」
ギギギと姉は言った。
「…素直な姉ちゃん、好きなんだけどな」
聞こえるか聞こえないかの声量で俺は言う。姉の耳がぴくりと動いたのが見えたから、きっと聞こえているだろう。姉は俺をおもちゃか何かと勘違いしているか、そうでなかったら惚れられているか…どちらにせよ、事後処理なんかは大変そうだ。
「じ…実は」
「実は?」
「弟に、会いに来たんだ」