「私がDer Ritter der Gerechtigkeitを抜けたのは、あの事件からひと月経ってから。丁度、この季節だったわ」
綾沙は語る。窓の外、雪の降り始めた景色を見つめながら。
「ごめんなさい、ストーブの火をつけてもいいかしら」
席を立って、綾沙田は石油ストーブに火をいれた。
「…今夜は泊まっていくでしょう?」
哀しそうな笑みを浮かべ、綾沙は口をひらいた。
詳細は以下の通りである。
ホッカイドウにて行われた、Der Ritter der Gerechtigkeit北方支部との合同訓練中に現われたVariantの突然の襲撃により、101小隊並びに、305小隊を始めとする、北方支部の小隊は壊滅状態に陥った。
これによって、北方支部は事実上の壊滅、101小隊は無残にも敗走する形となる。
生き残ったのは、倉内、春日、そして宮ノ。
「酷かったわ、あの惨劇は」
京耶も真空も、息を呑んで聞き入る。
ストーブの火が、暖かかった。
「あの時のことを思い出すと、何ともいえない気持ちになるのよ。私たちだけ生き残ってよかったのかしらって」
湯気の立つカップを、口につける。
「本当は、私たちもあの時死んでおくべきだったんじゃないかって思うの」
消極的な言葉を放ったのが、真空には堪えたらしい。
「そんな…何を言うんですか宮ノ少尉」
「もう、よしてよ、軍属じゃないんだから」
詳しい話は、聞いてるでしょう、綾沙は言った。
「それなのに、何故私のところへ来たの?」
キッと睨まれて、二人は肩をすくめた。
「それは、その…」
「…ごめんなさいね、私、少し…」
咳き込む綾沙。
テーブルに吐かれた血液。
「少尉…!大丈夫ですか?」
真空が席を立ち、綾沙の隣にしゃがむ。
「ええ、大丈夫よ。胃潰瘍、だから」
何とも、言えた義理ではないが。
苦い笑顔で、綾沙は言う。
「あの、今更なんですけど」
京耶がそれをさえぎるようにして言う。
「やっぱり、これ以上は、聞かないことにします」
「え?京耶君、それ、本気なの?」
真空の高い声が更に裏返る。
「あまり、少尉にも迷惑をかけるのもなんか…」
他の二人が、キョトンとした。
「…ふふ、ふふふあははははっ」
いきなり笑い出す綾沙。それを見て更に真空の顔は驚きの表情を浮かべた。
「今更、ほんと、今更ね…まあいいわ、だったら、すぐに夕飯にしましょう」
「え…あ…」
会話の機を逃した真空は、オロオロするばかりである。
「いや、今日はもこの辺でおいとまします。あまり迷惑ばかりかけられないし」
そう、なら、帰れるものなら帰っていいわよ。得意な顔で彼女は言う。
「ただし、夜になるとこの辺りは、狼が出るの。Variantより恐ろしいわよ」
うっすらと浮かべられた笑みが、恐ろしかった。
「お風呂までいただいてしまって、すいません」
濡れた髪を乾かしながら、真空は言った。
「いいのよ、お客さんなんて久しぶりだしね」
珈琲の入ったカップに口をつけながら、宮ノは振り返る。
夕飯をご馳走になり、更に湯まで借りた真空と京耶。真空は先に入り、京耶は洗いものをしている(もとい、させられている)。
「それにしても、ね」
ついたため息、吐かれた息は白い。途端に、空気の流れが変わる。
「…あの、宮ノ少尉」
「だから、もう少尉じゃないって。昔の話よ」
それと、今夜は寒くなるだろうから、気をつけて。
真空はそれに頷いた。
「…いつまで続くのかしらね」
「え、あ…」
自分の言おうとした言葉を言われて、真空は戸惑う。
「何で、戦わなければいけないのか、ってね私は思ったの」
不意に言い出した宮ノに、少しだけ驚く真空。
「今だって少しずつ、終わりには近づいているのだろうけれどね」
椅子から立ち上がり、宮ノはカップの珈琲を飲み干した。
「ごめんなさい、先に休ませてもらうわ」
「あ…」
奥の部屋、使っていいからーーそう言って、真空の視線を背に受けながら、宮ノは部屋を出て行った。
ただ、見送るだけの真空は、何を思ったのだろうか。
翌朝、まだ陽の上りきらないうちに、二人は身支度を整えて本部へと戻ることになる。
少しずつ、運命という名の歯車がかみ合い、廻り始めた。
続く。
久々の本編。
まだまだ、終わらんよ。
「ごめんください」
戸を叩く音がする。
「ごめんください」
呼んでいる。出る気がしない。
「ごめんください」
三回も呼んで出てこなかったら、普通はいないと考えるべきだろうと思うのだけれど。しかし、相手はまだ玄関の向こうにいるらしい。何なんだ一体。こっちは三日寝てないってのに。そういう時に限って、来る相手は嫌な客ばかりだってのもわかっている。とくとくと、重たい足を進める。掃除をしていないから、家の中は埃っぽい。たった埃で、咳き込んでしまう。咽た拍子に、喉の奥に感じた痛み。抑えた手のひら。吐かれたのは赤い液体。
「あー…まずったかな…」
もう、何年もここから出ていない。外の光は目に毒だ。家の中でずっと、一人で研究をしていた。奴らを殲滅する術を。いくら、いくら素が人だと言えども。あたしは、奴らを倒さなければいけない。なくした仲間と、家族のために。あたしは決めたんだ。戒めとして。人を助けると。
「ごめんください」
四回目の呼び声。はい、と返事をしてそっと戸を明けた。
「こちらが宮ノ少尉のお宅だとお聞きしたのですが…」
一組の男女がそこに立っていた。
あたしが少尉だったということを知っている人間は、この近辺じゃあ一人としていない。それに、もう軍籍は抹消されているはずだ。
「…」
無言。答える必要は無いだろうとみたうえでの判断。
「宮ノ、宮ノ綾沙少尉…ですね」
女の方が言う。
ふと、気付いた。二人の胸元に輝く証。Der Ritter der Gerechtigkeit正式隊証である龍のエンブレムバッチ。
その様子からすると彼らはどうやら、後輩にあたる立場の人間らしい。
「…誰から、聞いたの?」
言って、ああ、もう一度世界を見ないといけないのかと思うと、目の前が暗くなる。
「Der Ritter der Gerechtigkeit、187小隊の久野隊長、春日隊長、倉内副隊長に聞いたんです」
久野――それに春日に倉内。
「そう、か。二人はもう、そんなところにいるのか」
懐かしくも思える。だがしかし。それは、深い深い闇を意味する。
あの、冬の出来事を。
「何をしに来たのか知らないけれど、そんな人間はここには存在しないよ」
「え…いや、ここだって聞いて来たんです」
男の方は引かない。
「いいから帰って。まだ、研究がある…ん」
思わず咳き込む。
ゴボっ、という音と共に手のひらに吐かれる鮮血。
「…」
またも無言で
「急に訪れてしまってすいません…」
出された珈琲を飲みながら、真空は言う。
「いえ、いいのよ。急な来客だったけど、ね」
綾沙は微笑むと、二人の正面に座り込む。
続く。
中途半端な…
異端寓話「 」。
今回は二つアップ。
こちらは、2/9更新分、「泣いた彼女と」の続きになります。
そしてもう一つ、「止まぬ雨の。」は、「真説・異端寓話記帖」の続編となっております。
今回もまた、中途半端な更新ではありますが、なにとぞお許しくださいますよう。
こちらに関してもまた、突っ込みに感想、お待ちしております。
では。
まるで、夢に見ていたかのような、そんな時代。
二十一世紀。
あの頃子供だった者達が夢に描いていた未来は、悉く実現しえなかった。彼の有名な鉄腕アトムでさえ、産まれることはなかったし、きっとこの先だって、ドラえもんが創られることはないだろう。車が空を飛ぶことだって、後何年かかるのか。この、國だけが。今、滅亡の危機に瀕している。
助けは来ない。いや、来ようにも来ることができないでいるのだ。
あの頃子供だった者達は、2007年の春、一機の航空機によって存在を消された。某国の実験兵器の輸送中、輸送機が日本上空で原因不明の爆発を遂げたのだ。
広がりつつある、人のいない地域。まず、トウキョウから。そして、東へ西へ。
それは、一月で全国に広まっていったのだ。
そんな中、山奥に隠れ潜む仙人達によって集められた神人。
そして、自衛隊のつくりし独自部隊が、力を合わせて「Variant」に闘いを挑んだ。
五年が過ぎた。
國の進歩は、これといってなく、どちらかといえば、退化したようにも思わせてくれる。
そんな中で、生きているのは、2007年当時の人口の約三分の一。三分の二は、「Variant」へと成り果てたか、死を迎えてしまったかのどちらかだった。
「京耶君、待ってってば」
まだ少し、陽射しが弱い。春にしては、少し弱すぎるのではないだろうか。
「いいよ、ゆっくりいけばさ」
「もう、だったらもうちょっとゆっくり歩いてくれてもいいじゃない」
真空は頬を膨らませていた。もう子供じゃないくせに、いちいち仕草が可愛い。
「これでもゆっくりだよ」
駅の改札を抜けて、ホームで電車を待つ。
「…その、もう一人の生存者ってさ」
緊張した面持ちで真空が言う。
「うん、何か事件の後にDer Ritter der Gerechtigkeitから抜けて、一人で田舎に帰ったって話だけど…」
「でも…そっちの方が危ないんじゃないの?」
言われてみれば。確かにその方が危ない。まるで、自らを「Variant」の的にしようかともとれる行動だ。
「…そこんとこどうなんだろうな」
ホームに電車が入ってきた。二人は足並みを揃えて乗り込む。
「しっかし、ちょっと遠すぎるんだよねこれが」
真空がキョトンとした顔で聞き返す。
「遠いって、どれぐらい?」
「ざっと目算で、四時間弱。海の傍だって」
ここから四時間弱の距離と言われても、真空はピンとこない。
ま、いいか。
そう思って空いている席を探した。
着いたころには昼を回ったころだった。
「にゃー…こ、これは寒いよ京耶、君…」
自分で自分を抱えて、真空は小刻みに震えていた。
「や、俺も寒い…流石にこれはないな」
電車を降りた途端、冷たい空気に身体を蝕まれる。
「くっそ…久野隊長も倉内さんも、春日さんも何も言わなかったのはこういうことだったからか…」
今にして思えば、三人が三人とも、気温のことは何一つ言わなかったことを悔やむ。もっと突っ込んで聞いておけばよかった。
とりあえず、駅前に止まっているタクシーで行こうということになり、二人はその足を進めた。
続
※異端寓話、続きです。※
※今日の日記は、一つ前です。※
退屈な日々に、嫌気が差しました。
目の前にいた異形に向かっていったのは、とりあえずの退屈しのぎだったのでしょう。
案の定、捕まりました。
大した力もないのに、僕は何をしているのでしょうか。
まさかこいつらに勝てるとでも思ったのでしょうか。
いえ、本当に退屈しのぎだったのです。
運がよければ、捕まっても死ぬなんてことはないそうです。
悪ければ、その場で捕食されると聞いていました。
果たして、捕まったのは本当に運がよかったのかどうかさえ、人に聞くことすらかないません。 奴らの巣は、薄暗くて寒々しいところでした。
昔の映画で、似たようなものがあったのを記憶しています。
吊されている状態です。
ただ、目の前に卵があるとかいうのとは違い、がらんとした部屋のようです。
大きさとしては小学校の教室ぐらいの広さでしょうか。
少し大きめの穴が部屋の真ん中に空いているみたいです。
その穴からは、時折人とも獣ともつかぬ、断末魔の叫び声があがります。
それを聞くと、とてつもなく恐ろしく感じるのです。
まるで。
人ではない何かがいるのではないかと。
辛うじて僕の精神は平静を保っています。 食事は、与えられるどころか運んでくる様子すらありません。
そのかわりに、体中に針のついたチューブのようなものがさされています。
空腹感は募り、満腹感が得られることはない。 …不思議と、断末魔の叫び声が気にならなくなったのは四日目を過ぎたころでしょうか。 寧ろ、聞こえてこないと退屈で仕方がないのです。
否、生きていることを実感できないとでも言いましょうか。
此処で、生きているというのも何ですが。
次第に五感は失われつつあるようです。
今気付いたのですが、日に何度かは暗闇が此処を覆い隠し、視覚が閉ざされます。
更に言えば悲しいことに、段々と視覚が衰えつつあるようです。 代わりに、聴覚が発達したような気がします。
話には聞いたことがあるのですが、まさかここまでとは思いませんでした。
ものが見えない代わりに、遠くの音まで聞こえる。
これは何ということでしょうか。
腹が減ることもない。
喰うものがないが、どうやら栄養は体を這うチューブから入れられているらしい。 感覚で、感覚だけで見える。
視覚機能は既に停止しているはずなのに、見える。 七日目のことだった。 今日で何日目か、数えていない。 ただ、すごく気分がいい。夢でも見ているのか。現状は変わらないが、気分がいい。 いつ朝が来て夜が来るのかも感覚でわかってきた。身体の自由が聞くようになった。素晴らしい、身体が軽い。うまく、動く。
「起きろ、そこの愚弟」
声をかけられ、顔をあげると、其処には見たことのない――
「Göttin, die hell brennt,がお待ちだ」
にたぁと笑う、その仕草。
姿かたちは人と同じ、だが、幾つかの点で違うところが見受けられる。
異様に長い手足に、身体の表面をうろこ状の組織で覆われており、ぬめって光っている。
その手足には、指の間にどこか魚類を思わせるような、水掻きがついていて。
髪は、赤く、紅く鈍い光沢を放ち。
首元には、鰓のような器官まで備えられている。
「あんた…何者だ」
「オレか?」
ソイツは言いながら、僕の身体を支える粘膜から、その腕で僕を切り離す。
それを予期していなかった僕は、そのまま堕ちる。
「オレは、Das geschlachtete。名を」
それは、まるで。
「筑嶋蟋蟀」
人の形をした、Variantのものどもへの。
鎮魂歌。
始まり。
「手前の名は?」
「僕、の名前は」
「飯月、カヤ」
始まり。始まり。
つづく。
※異端寓話。日記はもうひとつ前にあります。※
「で、私を置いて二人に会ってきたのね…」
そう言うと、京耶の頬に軽い衝撃と音が響いた。
「知らない…っ」
眸に涙をためて、真空は部屋を出て行った。
あれ、なんで殴られたのだろう。
同時に、酷く心が痛くなってきたので、後で謝りに行くことにした。
しかし、どうしたものか。
「にしたって、ないよなあれは」
聞いたところ、101小隊のことは本来秘密裏に処理されるはずだったということ。
極寒の地、ホッカイドウでの事件。
吹雪の中の、101小隊。
春日と倉内に聞いた、事件の真相は、あまりにも惨たらしいものだった。
「…重いな。」
真空を連れて行かなかったのは正解だった。
しかし、連れて行かなかったのはもっと不正解だった。
「…」
真空がいないと話にならない。
連絡をしようと、真空の携帯に電話をかける。
…。
……。
………。
おかしい、出ない。
ひょっとして、俺がいけなかったのだろうか。いや、他に理由らしきものは見当たらないのだが。
探しに行こう。いや、でもひょっとしたらここに戻ってくるかもしれないし。
…いや、ひょっとすると、ただ用事があって出て行っただけかもしれない。
そう思い込んで、事実を変えよう。うん。それでいいじゃないか。
ふと、携帯が鳴る。
「はい」
「京耶、君…」
電話の主は、誰ならぬ、真空だった。
「あ…どこにいるんd」
「あの…ごめんなさい」
言いかけたところで先に全部言われると、かえっておかしな空気が流れる。
「私、勝手に出てきちゃって…」
涙ぐんで聴こえるその声。少し、安心したのは事実。
「いや、俺こそ…ごめん。とりあえず、戻って、おいで。話をしないといけないから」
京耶は最後にこう付け加えた。
‘101小隊壊滅事件には、もう一人生存者がいた´と。
つづく。