今までは、ずっと物憂げに見ていたような気がします。
まるで何も始まらない、そんな気がしていました。
ただ、四年前と、八年前、十一年前では感覚が違う。
懐古主義なのではなく、たまたまそうやって思い出す回数が多いだけなのです。
例えば十一年前。
中学に入学する時とか、不安以外の何ものもなかったのですから。
今まで学校に行けなかった自分が、他の子供と同じように学校に通うことができるのだろうか?
とても不安だったことを覚えています。
山田氏や、他の友人たちもいたので、まだ何とか行けるかなと思いました。
結局、三ヶ月ぐらいしか、行けなかったんですけれどもね。
夏が終わったら、またフリースクールに足を運んでいましたし。
八年前。
爺ちゃんが死んで、親父がおかしな時期でした。
中央の昼間定時に落ちたのがわかった日にゃ、ものすごく落ち込んでました。
それを炊きつけたのは誰でもない母なんですけれど。
母が炊きつけてくれなかったら、今の俺はいない。
そこからの四年間がとても面白くて楽しい、長くて短い四年間でした。
一年の時にできた同じクラスの友人なんか、ほとんどいなくなってしまったけれど。
二年でできた友人たちと、とても仲良くすることができた。
三年でできた友人たちとも、同じように仲良くなっていけて。
四年で友人になった人々とは、今も尚仲が良くて。
その時に出会った人が、とても素敵な人で。もっと知っておけばよかったなんて、今更ながらに思うこともありますけれどね。でもそれは、もう望めないこと。
その望めないことは、今からしていけばいいってことを俺は知っています。
そうして、四年前。
夢を叶えようと進んだ大学。
気の合う友人もできました。
四年間、一緒に過ごした友人たちはこれからもつながりがあるだろう。
その四年間で、前述の素敵な人と何度かお会いしております。
何度も何度も遊びました。
真昼間から一緒に酒を呑んだのは、この人が最初。
何でこの人が、泣いているのをただ見ているだけしかできないのだろうか。
と、何度も思ったのは今回初かな、書くのも言うのも。
背中を押してやったのは俺で、選択したのは彼女。
夢を叶えることは、できませんでした。
大学を卒業することはできました。
が、そのままずるずると何も決められないまま、俺は今年の春を迎えました。
桜が、もうそろそろ散るぐらいの頃でした。
何もできずにいる俺の隣にその人はいました。
揺るがない気持ちを持って、待っていたのです。
何もできずにいる俺を待っていたんです。
思い出す度に、俺は何をしていたんだろうって思います。
そうして、待たせた彼女に、言葉を。
桜舞い散るあの日々を、思い出すたびにいくつかの春に思ったことが頭をよぎっていました。
でも今は、ひとつだけ。
彼女が隣にいた春だけが鮮明に思い出されます。
そして夏がやってきた。
夏は鬼門、と言いますか、なんと言いますか。
彼女がいる状態で夏に突入したことがないってのがありまして。
ってのは、前にも書いたかな。
去年は、彼女がいないまま大学生活最後の夏休みに突入してしまった。
なんて言っていました。
でももう大丈夫だ。
大学生活のうちで、彼女がいたことがなかったのはまあ、しかたねえよ。
キャンパスライフできゃっきゃうふふとかしたかったなとかね、うちの大学じゃねえよ。
ありえねえよ。
そういう感じの春。
夏はまだまだこれからです。
隣にいた人、嫁も夏バテから早く解放されるといいなと祈りつつ。
夏の間は無理か、夏バテだもんなあ……。
っと。
今日もお仕事でした。
明日から夏休みです。
ソロで遊びに行けるところに行こうと思っています。
まあ、恵那ぐらい行っておくかなとか。
去年行ってるし、報告ぐらいはしておきたいなとかね。
んー。
意識してないと、嫁の話ばっかりになるな。
そういうところなんだけどな、ここw
→ ひさびさにキャシャーン見るよ!
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