古屋牧野と瀬野恵理の場合。
「ちょっともすこしそっちつめてよ」
「だーっ! お前がそっち寄ればいいんだよ!」
ふたりでソファの取り合い。
「いいじゃんよー、あんたがもっとそっち寄ればいいじゃんよー」
初めてのバイト代から少しずつ貯めて買ったソファ。
一人掛け用の、少しゆったりしたやつ。
ふてくされる恵理のことは気にせず、牧野はテレビから目を離さない。
互いが互いに譲ろうとしない中で、恵理は制服のポケットからの音に気づく。
「あ、ちょっと電話してくる」
「ん、いってら」
牧野の顔も見ずに部屋から出て行く恵理。
ばたんとドアが閉まる音がして、そっと振り向く。
別に誰からの連絡なのかとか、そういうのはどうでもいい。
いつまでたっても互いに変わることのできないことが少しだけひっかかる。
それだけがひっかかっている。
「おかーさんからだった」
後ろ手にドアを閉めてそこから報告する恵理。
振り向こうともせず適当な相槌をうつだけで済ませる牧野。
視線はいつの間にか天井を仰いでいる。
「おじいちゃんが調子悪いみたいだから、おじいちゃんのところ行ってくるって」
「ふーん……」
そう特に興味もないようなフリだけをして、テレビを消す。
「それで、夕飯は適当に食べてきてって」
どこか消え入りそうに感じる声色だった。
「あっそ……」
そっけなく答えてしまうのは、いつものことだ。牧野と恵理が出会ったころから、ずっとそうだ。
いつの間にか、恵理の顔が牧野の正面にあった。
天を仰ぐ牧野の顔を覗き込むように恵理は立っている。
「……なに」
少し考えた後、にまーっと笑って恵理は言う。
「いいこと思いついた」
そういってソファに座る牧野の足の間に座る恵理。
「よいしょ、っと」
そのまま全体重をかけて後ろにもたれかかる。
勿論、後ろにいるのは牧野である。
「ぐぉ……っ、おい、いきなりなにすんだよ!」
突然の行動に声を荒げる牧野。
「あは、ごっめーん」
牧野はそれを聞きながらも謝る気がないことには気づいている。
牧野がだらしなく広げた手をとり、自分を抱くように動かす恵理。
「これでよし」
一人満足そうに頷くのを、知らぬフリで通すわけにもいかない。
このまま、少しだけこのままでいたい。
そういうのが聞こえるかのように、牧野は何も言わなかった。
「どうしよっかな、夕飯」
「うちでたべてけば?」
恵理はその言葉に驚き、振り向いた。
がんっと音がするぐらいの速度で牧野の顎に恵理の後頭部が直撃した。
「痛って! お前、ゆっくり振り向けよ!」
顎を抑えながら声を荒げる牧野。
「そっちだって! 急に変なこと言うから悪いんじゃん!」
ぶつけたところをさすりながら、半泣きでふくれる恵理。
「変なことって……」
一度離れた体勢を、牧野はもう一度とった。
「俺が悪かったよ。そんな顔してないで、機嫌直して」
横から抱きしめられている体勢が心地よい、なんてそんなことは恵理は言わない。
牧野もそれはわかっている。
だからこそ、無言でいられる。
牧野の胸に耳をつける形で、かれこれ五分ほど無言の時間が流れた。
トクン、トクン、と牧野の心音がゆっくりと伝わってくる。
「……今日、うち親帰ってこねーから俺も飯ねえんだ。一緒に飯つくろうぜ」
あ、少しだけ、心音が早くなった。
「ん……いいよ」
抱きしめてくれる腕をぎゅっとするのも好きだ。
「ついでに泊まってけよ」
もっと早くなったのが、恵理には面白く感じられる。
「……何もしない?」
恵理は顔を上げて、牧野の目を見ながら聞く。
「何もしねーよ」
ハァ、とため息をつきながら牧野は言う。
「……えへへ」
恵理が笑うと、牧野も笑う。
少し距離感を感じるけれど。
二人にとって、心地のよい距離。
バランスの保たれているその距離が。
互いに好きだった。
無論、互いが互いのことを好きあっているのは認めている。
けれどそれだけじゃない。
二人の意識はそこを重点としてはいない。
少し違う形のものだった。
ふたり 牧野と恵理
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