朝バイト行って、昼からミイラ見に行って、また夜バイト。
一記。
害虫駆除の後片付けをしにバイト先へ。
昼前に終わって帰宅。
内臓さんからメッセで呼ばれる。
どうも、岐阜のミイラを見に行かないかという話だった。
悩んだ挙句、いからば行かんとし。
行くと言って行ってきた。
両界山横蔵寺。
宗派 天台宗。
開山 伝教大師 延暦二十年。
桓武天皇の勅願寺。
というところに行ってきた。
ここは、伝教大師が自作の薬師如来を祠った寺で、かの比叡山の薬師如来と同じ木から作ったと言われている。
現役時代の信長に、寺領を全て取り上げられたとか。
まあ、そんなところに行ってきたんですよ。
今日はちょうど、木造薬師如来坐像の開帳の日だったようです。
すげえ、行き当たりばったりなのに、そんな当たりともいえる日にいけたのが素晴らしいと思う。
こちら、六十年に一度しか開帳されないらしいのです。
そのほかにも、日本に三箇所にしかない木造深沙大将立像や、大日如来坐像、板彫法華曼荼羅やら。
木造仁王尊立像に、木造十二神将立像、木造四天王立像などが。
これらすべて、国指定重要文化財です。
木造深沙大将立像は、皆様ご存知の、西遊記の沙悟浄である。
本堂、三重塔、仁王門は県指定重要文化財です。
それらがあるなかで、一際色のちがうものがある。
それが、妙心上人様の舎利仏であるのだよ。
これらは、写真撮影禁止となっており、肉眼でしか確認ができないので、興味ある方は行って、直に見てみるといい。
両親の没後、仏道修行に出て、西国、坂東、秩父の三十三箇所、四国八十八箇所を巡り、信濃の善光寺、万善堂で受戒されたそうな。
三十七歳という若さで断食をして、入定されたとする。
御正体山の洞窟で即身仏となったが、山梨県庁へ移され、その後出生地の横倉寺に祠られることになった。
全く人の手を加えず、綺麗な舎利仏となった妙心上人様。
一目見た瞬間、度肝を抜かれたよ。
綺麗に座禅を組んだ足。
両手の指を一本ずつ絡めて、握った手。
本当に、自然でしかできようのない、その。
妙心上人の舎利仏。
もう、何も言えなくなったのは言うまでもない。
人間が、とてもいい保存状態で、断食などを行った結果。
それが目の前にあって、こちらを見返しているのだ。
あんなの、見たらもう、何も言えなくて当たり前だと思う。
一記。
さて、ちょろっと風景の写真も撮ってきて、まあ適度に帰ってきました。
夜はまたmozoでバイトでした。
帰りにjubeatやりに行ったりね。
夏らしいこと、してねえなあと思ったけど。
重要文化財見れたからいいか。
ばーい。
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