ああ、そこにいるんだね。
やっと出会えたんだ。
「こっちにおいでよ」
僕は君を呼んで手招きをする。
君は笑顔で僕を見ている。
嬉しくて、涙が出そうで。
来ないなら、僕が。
君の元へと歩き出すけれど、距離はどれほども縮まない。
どれだけ手を伸ばしても、届かない。
走り出しても、遠くなるばかりで。
僕はどうすれば。
目覚めた時には、もう昼を過ぎていた。
夢だったなんて思いたくない。
けれど、夢であることに違いはない。
僕はそれを手に入れるために、彼女のいる世界に戻るための方法を探して。
辿りついた先が、この町外れの廃墟。
今はもう、街中の灯りは消えてしまっている。
僕は彼女、アヤカシに言われたとおり、別れを――
「お別れは、してきたのかしら」
不意に背後から聞こえてきた声に飛び上がる。
「あら、驚かしちゃったかしら」
そっと振り向くと、黒い服を着たアヤカシが月を背に立っていた。
見たことのない服だった。
色鮮やかに、赤だの白だの色が使われており、とても重たそうな服だった。
ところどころに花の模様があって、腰には帯を巻いている。
きっと、アヤカシの世界の服なんだろう。
「それで、お別れは? きちんとしてきた?」
服に見蕩れていた僕は、その言葉を聞いてハッとする。
「……してきたよ」
ばつが悪そうに僕は言う。
別れを告げた、昼間の様子を僕は思い出していた。
「え? 帰る方法が見つかったって?」
エンリッヒは口に咥えようとしていた葉巻を落とし、昼食の用意をしていたルナリアが振り向く。
「うん、実は、さ」
僕はアヤカシから聞いた話を二人に話した。
「そうか、それはよかったよ、うん」
はは、と苦笑いしながら、落とした葉巻を拾って火をつける。
かちゃかちゃと食器がテーブルに置かれる音がする。
「それで、いつ戻ることにしたんだい」
これについては、真実を伝えるほどの勇気がなかった。
「……明日の朝、陽が上るまえにここを出るよ」
エンリッヒは、僕の言った言葉を口の中で繰り返すようにして僕を見た。
「よし、なら今夜の夕飯は豪勢にいこうじゃないか。なあ、ルナリア」
ルナリアは、僕を見ても何もいわない。
目が合ったけれど、すぐに逸らされてしまった。
「……ルナリア」
僕が呼ぶと、ルナリアが答える。
「……ちょっと、バケットを切らしていたので、買い物に行ってきます。すぐ、戻りますから」
声が多少、上ずっているのがわかる。
「あ、なら、僕が行くよ、ね」
僕はルナリアの顔も見ずに、外にとびだした。
突然、だもんなあ。
わかっていたとはいえ、こうも簡単に戻る方法が見つかるだなんて言われるとは思ってなかっただろうに。
二人は応援してくれると言ったけれど。
別れるのは、辛いことだってことを僕はよく知っているから。
そんな簡単なことじゃないってことぐらい、理解しているんだ。
あまり長く戻らないと心配すると思って、十五分ぐらいで戻ってきた。
「ただい、ま……」
屋敷のドアを開けて、二人のいる部屋へと戻る。
エンリッヒも、ルナリアも変わった様子も何もなかった。
ただ、ルナリアは僕を見ようとはしなかったし、話すらしてくれなかったことだけが悲しかった。
そうして、昼食も終わって、そのままゆっくりと過ごした。
僕は手紙を書いた。
二人にあてて、一通の手紙を。
夜は、これまでに食べたことのないぐらいの量の食事を出された。
そして、笑っておわることにした。
これ以上、二人を悲しませちゃいけないと思ったからだ。
きっと、エンリッヒもルナリアも寝入ったと思う。
それぐらいの時間に、僕は服を着替えだした。
「……うん」
窓の外は暗い。
街灯だけが、廃墟までの頼りである。
手紙はポケットにしまって、屋敷の玄関にでも置いていこう。
そっとドアを開けて、部屋を出る。
エンリッヒの寝室の前を通って、屋敷の玄関まで来た。
ここまで来れば大丈夫だろうと思って、背後の気配に気づく。
勢いをつけて振り向くと、人影が僕の後ろに立っていた。
気づいた瞬間、その人影に抱きしめられる。
「え、ちょっと、え?」
その身体の小ささ、やわらかさかとにおいから、ルナリアだということがわかる。
僕は戸惑って、何を言えばいいのかわからなかった。
「まったく、君という子は」
その向こうから声が聞こえる。
エンリッヒだった。
「エンリッヒ……どうして」
動けない僕を見て、彼は笑ったように見えた。
「僕やルナリアを心配させたくなくて、明日の朝だって嘘をついたことぐらいわかるんだよ」
とても優しい口調でエンリッヒは言った。
「……ごめん、なさい」
謝らなくていいよ、とエンリッヒは言った。
「マリィがしたいことを、させてやるのが一番だって、ルナリアと話し合ったんだよ」
僕を抱いているルナリアが、やっと顔をあげて僕を見てくれた。
「お嬢様……」
泣いているんだ、彼女は。
「向こうへ、行っても、お元気でいてください……」
それ以上は続かなかったのか、ルナリアは再び僕を抱きしめた。
「楽しかったよ、マリィ」
エンリッヒがドアを開けて、待ってくれている。
ルナリアは僕からやっと離れてくれて、エンリッヒの下へと小走りでいく。
「君が居た生活は、とてもいいものだった。いつか、また会えることを信じているよ」
エンリッヒが笑い、ルナリアも涙を流しながら微笑んでくれた。
僕は、胸の中に熱いものを感じていた。
ポケットに入れた手紙を出して、渡した。
「僕が、口からじゃ言えないこと、書いてあるから」
二人を見て、僕は言う。
「ありがとう」
僕は二人と少しの間抱擁を交わした。
そして、開けられたドアから走り出した。
振り返ることなく。
決して、振り返ることなく。
気づいていた。
僕の頬を伝うのが、涙だということぐらい。
わかっていた。
こうなることぐらい。
だのに。
今は、悲しいのと、嬉しいのとが半々で。
ただ今は、それを求めて走り出したのだから。
留まることがないように。
止まることが決してないようにと。
祈りを込めて、走り続けた。
「さて、じゃあ説明するわ」
アヤカシは僕を見据えて言った。
「もう少ししたら、ここに列車がくるの。それに乗って、三つ目の駅、吼千峡で降りなさい」
「え、列車って……ここ線路ないじゃん」
素直な感想を言うと、アヤカシがにこりと笑って言った。
「もうすぐわかるわよ」
なんだろう、この人の瞳を見ると、魅入られるようなそんな。
「それで、水嶋ハイネを助けてくれるのよね、あなたは」
ハイネ。
助けるってのは、どういうことなのだろうか。
「それって、どういう意味なの?」
怪訝な顔をしてしまったがわかったが、僕は別に気にしない。
「ええ、そうね。話をしなければいけないわね」
僕は息を飲んだ。
「彼女ね、きっと、大変な目にあっていると思うのよ。だから、そこから引き揚げるつもりで、なのだけれど」
「……どういうこと?」
おかしなことを言う人だと思ったが、僕は聞き返した。
「勘よ、女の」
勘でハイネを救えだとか、おかしなことを言うな……。
「あなたじゃなければいけないのよ……来たわよ」
彼女が空を見上げたので、僕もそれに倣った。
闇の中から、一筋の光が僕たちを照らした。
それは、雲間を縫って、空を走っていた。
ゆっくりと、僕たちの前に降りてくる列車。
「開いた口が塞がらないっていうのは、正に今のあなたのことを言うのよ」
驚いてしまって、何も言えなかった僕を見て彼女はそう言った。
列車は止まり、中からぞろぞろと人が降りてきた。
これは夢でも何でもない、さながら、銀河鉄道のようだ。
「じゃあ、よろしくお願いね」
列車に乗り込んだ僕は頷いていた。
「うん。ハイネの為だったら、僕はなんだってできるし、それに」
あまり要領を得ない話だったけれど、今の僕ならとにかく何でもできる気がした。
どうしたんだろう、この感覚。
不安よりも、期待と希望に満ちている。
「ハイネが死ぬぐらいなら、世界なんていらない!」
ハイネがいない世界なんて僕には考えられないのだから。
つづく。