わたしは誰でもない貴方に問いたいの。
そう、このモニターの前の貴方に。
貴方は今、生きていますか?
もちろん生きているのでしょうね。
そんな貴方が羨ましいとは言いませんけれど。
わたしは、既にこの世界には存在しないのです。
貴方にはわたしの経験したお話を、少しだけ聞いていただきたいのです。
無論、ご無理は申しません、お時間のある方のみで結構ですから。
だからせめて、わたしが生きていた時のお話を聞いてください。
ただ、誰かに知ってもらいたくてわたしは語ります。
わたしがいたことを、知っていてほしいから。
いつから彼女に惹かれていたのだろう。
ひょっとしたら、スクラヴァ家に迎えられた時からなのかもしれない。
それとも、あの聖誕祭の夜から?
ひょっとして、旅行の時から?
わからない。
けれど、わたしには一つだけわかっていることがある。
わたしは、マリィを愛している。
もう二度と、会えないけれど。
「ごめんねカムパネルラ、ごめんね」
わたしの首を絞めながら、何故あなたは泣いているの。
「でも、こうするしかないんだ」
こんなに力があったなんて、わたしは初めて知ったわ。
苦しくて息ができないけれど、平気よ。
「カムパ、ネルラ。僕は、君のこと」
わかっているわ、あなたのことだから。
そんな悲しそうな顔をしないで。
ほら、見て。
月がとても、綺麗よ。
物心つく前に、わたしは母と引き離された。
父の話を聞くからには、母はわたしに暴力をふるう人だったと聞いた。
それが赤ん坊のころ。
わたしが生まれて、一年と経たぬうちに家族は離散したらしい。
まだ乳飲み子であるわたしを連れて、父は旅に出たのだと聞いた。
三年近く、町という町を転々としたんだって。
そうしてたどり着いたこの街で、スクラヴァ家の方に拾われたんだって。
そう聞いている。
スクラヴァ家の方々は、わたしと父を暖かく迎えてくれた。
使用人という形で雇ってくれたのに、家族のように扱ってくれた。
わたしは、わるいことをすれば他の子供と同じように奥様に怒られたし、いいことをすれば誉めてもらえた。
誰かの誕生日を祝うこともあったし、わたしの誕生日を本当の家族のように祝ってくれもした。
わたしはスクラヴァ家の人たちが好き。
わたしにとって、覚えのない母親よりも。
今まで一緒に生きて、生活してきたこの人たちが。
本当の家族だと思うから。
生誕祭の夜にカムパネルラと一緒に屋根裏部屋に入ったのを覚えている。
誘われたわけではない、わたしが勝手についていったのだ。
退屈をしているよりは、誰かの後について何かをしたかったのかもしれない。
それとも、誰かの傍にいたかったのか。
大人たちは、お酒を飲んで大騒ぎだし、お兄さまやお姉さまたちも大人の会話に混じっていたりして。
それに、父もそこに混ざっていてわたしの相手をしてくれない。
わたしはひどく時間を持て余した。
そのとき、部屋を抜け出す彼女を見てついていこうと決めた。
その後は、眠たくてあまり覚えていない。
意地悪をされたのではないことは、わかっていたから。
わたしは、このとき、彼女が困る顔を見たかったのだけれど。
何だか、照れているように見えたのが印象的だった。
それから少しして、わたしたちは旅行に行くことになった。
よく覚えている。
暖かい日で、風もあまりない日。
お部屋は、彼女と一緒だった。
外の様子がとても綺麗で、わたしは彼女を呼んだ。
けれども彼女は椅子に座って、タバコを吸おうとしていた。
本当に綺麗な、街の様子。
わたしは不意に思いついたことを口走った。
「ね、マリィ、お風呂入ろう」
それに返すかのように、彼女はキョトンとする。
すぐに、咥えていたキセルを落とし、火種を指にぶつけたようだった。
「あっつ!!」
どれぐらい熱いのだろうと、考えてしまった。
でもきっととても熱いのだろうから、手当てをしないといけない。
火傷がひどくなってしまっては大変だから。
「だ、大丈夫?」
ぶんぶんと振る手を掴んで、その指の先を口に咥えた。
焦げた木のにおいが、彼女の指の熱さを示す。
細い指に、自らの舌を絡めていく。
彼女は何も言わなかった。
「ん……これで、大丈夫かなぁ」
指先から口を離して、彼女を見上げる。
何だか、豆が鳩にうちでの小槌を振られて鼻が伸びたので、うさぎを追い抜いて、終いには桃を切ったら大判小判がざっくざく、といった表情をしていた。
……本当にそうだったかなぁ。
ううん、違う。
何だか照れたような顔をしていた。
そう、照れたような顔を。
「マリィ? 嫌だった……?」
少し不安になる。
彼女が何も言わずに、そこにいることが少しだけ怖かった。
「え、あ、いや、そんなことないよ!」
はっとした顔で、私に向かって言う。
腕をつかまれて、大声だった。
「……なら、よかった」
嬉しかった。
無意識のうちに微笑んでしまうくらいに。
ゆっくりと、視界から彼女が消える。
「……マリィ、どうしたの?」
消えたのではない、彼女がわたしを抱きしめたのだ。
彼女の心臓の鼓動が伝わってくる。
すごくドキドキしているようだ。
わたしは、彼女にベッドに腰掛けるように促した。
まるで、彼女は犬のように、わたしの膝にその身体を委ねた。
それを受けて、膝に彼女を誘導する。
帽子が、彼女の可愛らしい顔を隠していたので、とってやる。
「……ねえ、カムパネルラ」
小さな声で、彼女は言いました。
「うん、どうしたの、マリィ」
わたしは答えて言葉を待つ。
彼女のやわらかい髪が好きで、わたしは空いた手で彼女を撫でる。
「おかしい、かもしれないのだけれどさ。僕は、君に言わなくちゃいけないことがあるんだ」
髪を撫でてやると、本当に、犬のように身体を預けようとしてくる。
その仕草すら、わたしには勿体無いのではないかと思う。
「……教えて?」
知りたい。
知りたくて、わたしはそう言った。
彼女の手が、わたしの胸を包む。
わたしも少し、ドキドキしている。
「うん、驚かずに聞いてほしいんだ」
手持ち無沙汰だった左手は、彼女にとられた。
暖かい、手だった。
抵抗することもないので、髪を撫で続けていた。
「ひょっとしたら、嫌、そうじゃない」
言い淀むけれど、その言葉を。
「うん、ゆっくりで、いいよ」
少しだけ、口を開いて彼女は言った。
「君のことが、好きだ。家族としてではなく、友人としてでもなく」
わたしはそれを聞いて、手をとめた。
驚いてしまったのだ。
今まで、男の子にもそんなことは言われたことがなかった。
「……どういう、こと?」
彼女を見つめて、次の言葉を促す。
「……続けて?」
何かを決めた、そんな表情で彼女は言った。
「きっと、いや、確定的なものだと思う。愛しているんだ、カムパネルラ」
何かが決壊した。
彼女は真剣な顔をして、わたしにそう言ったのだ。
愛、している?
父からしか、言われたことのない言葉。
それは、本当に好きな相手に贈る、大切な言葉。
ああ、そうだったのね。
「……わたしもよ。わたしもマリィを愛しているわ」
そういうことだったのね。
ありがとう、マリィ。
あなたのおかげでやっとわかったわ。
「泣くほど、嬉しかったの?」
彼女は一瞬、え? といった顔をしたが、すぐに理解したようだった。
「あ、……ありがとう」
彼女は起き上がって、わたしを押し倒した。
「ありがとう、マリィ」
わたしはお礼を言って、瞳を閉じた。
わたしは、彼女が何をするのかわかっていたかのように。
その行為を、受け入れた。
ああ、わたしは今。
そうして、わたしと彼女は二人で行動するようになった。
時間さえあれば、いつも一緒にいた。
笑いあって、泣きあって。
家族にも言えない関係になってしまった。
でもわたしは嬉しかった。
幸せだった。
そうやって時間が過ぎていったある日のこと。
彼が、転入してきたの。
アラカンサス。
彼女が言うには、見た目は普通なのだけれど、中身はすごいとか何とか。
わたしにはよくわからなかったけれど、私たちは彼に惹かれていった。
恋とか、そういうのではなかったの。
ただ、純粋に。
彼と彼女と、よく出かけるようになった。
ただ、わたしたちは何かが違うなんてことがないように、普通にしていた。
楽しかった。
毎日が、まるで夢のようだった。
そうしてわたしが、幸せを噛み締めていたころ。
きっと、そのころから彼女は。
「僕は、君を、カムパネルラを大事にしたい」
そう言ってきたのは、まだ冬も終わりきらない日のことだった。
「……うん、ありがとう、マリィ」
学校からの帰り道、雪の降る夕方。
路地の影で、彼女は言った。
「わたしも、あなたのこと、大事よ」
微笑んで返す。
「……はは、そう、だよね」
少し悲しそうな顔をして彼女は言った。
「カムパネルラ、話があるんだ」
深刻そうな顔で、彼女は言う。
「……うん」
わたしは、この時既にわかっていたのかもしれない。
「家に帰ってから、ゆっくり話すよ」
先を歩く彼女。
わたしは、わかっていたのか。
後を追って、ゆっくりと家に向かった。
夜は、雪が吹雪になっていた。
ごうごうと音を立てて、風が窓を叩く。
少し、怖い。
「カムパネルラ、おきてる?」
部屋のドアをノックする音。
「うん、どうぞ」
わたしはもう、いつでも眠れる体勢でいた。
がちゃりとドアがあいて、彼女は部屋に入ってきた。
「いらっしゃい、マリィ」
彼女の顔を見ると、安堵感を感じた。
わたしは思わず彼女に飛びつく。
「どうしたの、ひょっとして、吹雪が怖いとか?」
図星なので、はい、とは言えずに、そのまま何も言わない。
「はは、本当、君は子供みたいだね」
わたしの頭を撫でながら、彼女は言う。
それはそうよ、だってまだわたしたちは子供なんだから。
子供が、愛を語るなんて、おかしなことだと大人は言うかもしれないけれど。
「……カムパネルラ」
ゆっくりと、顔を見合わせる。
そう、今日までなのね。
「僕は、君を誰にもとられたくない」
まるでスイッチが入ったかのように、彼女は言う。
「家族の誰にも、アラカンサスにも、誰にもだ」
「……はい」
わたしは頷く。
「だから、永遠のものに、したいから」
その続きは、言わなくてもわかってしまう。
何故なら。
「愛しているよ、カムパネルラ」
「……わたしも、あなたのことを愛しているわ」
互いに見詰め合って、口付けを交わす。
いつにも増して、激しい口付けだった。
彼女はわたしを求め、貪るように。
わたしは彼女に与え、求められるがままに。
それが、最後の口付けだとわかっていても。
「ごめんね、カムパネルラ」
泣きそうな顔をして、彼女はわたしの首に手をかける。
「いいのよ、マリィ」
優しく、諭すようにわたしは言う。
「あなたのために、わたしは」
それ以上は、言えなかった。
怖いものはなかった。
わたしは彼女にどうされようがよかったのだ。
彼女と一緒になれて。
嬉しかった。
悲しかった。
寂しかった。
怖かった。
どれも経験してしまった。
だからこそ、わたしは彼女のものであり、彼女はわたしのものであった。
もう、この世界では会えないけれど。
「あなたのことを、愛しているから」
首にかかる手に、力がこめられていく。
「ごめんね、カムパネルラ。ごめんね」
ああ、泣かないでマリィ。
大丈夫よ、平気よ。
「ごめん、ごめんね」
謝りながら、何故あなたは泣いているの?
大丈夫って、言ってるじゃない。
少し苦しいけれど、わたしは手を伸ばして、彼女の髪を撫でた。
「……愛して、いるわ」
掠れた声で、わたしは言った。
段々と遠のいていく意識の中で。
最後に見た彼女の笑顔が。
今も瞼の裏に焼きついて離れない。
そうして、わたしはこの世界から身をひくことになった。
今、彼女はどこで何をしているのだろう。
わたしは、ここにいるのに。
きっと、新しいパートナーでも見つけたのかもしれない。
それでもわたしはいい。
彼女といることができて、本当に幸せだったから。
短い人生だったけれど、悲しくはない。
いつも、彼女との思い出で溢れていたから。
今、目の前にいる貴方へ。
貴方は今、生きていると言えますか?
それは、どういった意味で言えるのでしょうか?
誰かの役にたつことをしていますか?
自分の夢を追いかけて、それを果たすために努力していますか?
今、あなたは幸せですか?
これで、わたしの話はおしまい。
またいつか、どこかで会えるかもしれないけれど。
わたしがいたことを、覚えていてほしい。
わたしが、わたしとしてマリィの隣にいたように。
マリィの幸せを願って。