飲み込むということは受け入れるということである。
それがどういう形であれ、相手の言葉を、受け入れるということは、簡単なようで難しいことであると私は思います。
いくつになったところで不安なものは不安であるし、また受け入れがたいことも受け入れなければならないこともあるでしょう。
待つ者の不安というのも、それに似たものが感じられると思います。
春が芽吹くのを待っていました。
私だけじゃなく、私以外の人々も。
数多の色を持つ春の風が幾度となく吹いていき流れさっていきました。
そうしていくうちに、いつしか私たちを祝福する風が吹きました。
それは祝福だけではなく、私たちを愛してくれるものだと知りました。
何度となく歓声があがり、私たちはそれを受け入れたのです。
いつか星になるまで。
いえ、星になっても二人を祝福しつづけるであろう、それを。
その名は。
バイトっしたー。
もうそろそろGWですよ。ええ。
まじ勘弁してほしいかなーってぐらい。
でも、GW終わったら研修だし。
七回忌もあるし。
五月は多忙かなあとか。
少しずつ、少しずつでいいから知っていけるといいなあって思います。
時間がかかってもいいと、思っています。
握った手を離さないと決めたのだから。
形だけじゃなくて、本当のことにする。
一人だと乗り越えられないかもしれないけれど、二人なら乗り越えられるはずだから。
受け入れる。
俺のための幸せじゃなくて、二人のための幸せのために。
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