「さ、お手をとらせてくださいな」
しりもちをついた少女に、手が差し伸べられた。
「もう、だからいやなのよ高いヒールって」
少女はふくれて言う。
時計が鳴る。十二時の鐘だ。
「はは、でもそれはそれでとても似合っていらっしゃる」
男は笑う。
少し悲しげに、切なそうに見えるのは気のせいだろうか。
「…褒めたって何もでないんだから」
ぼそっとつぶやくように言ったが、少女はまんざらでもなさそうだ。
手をとって、立ち上がる。土をはらって男の手を撫でる。
「本当、いつもきれいだと思うわこの手」
「そう、かな」
男の手は、然程節くれだってはおらず、荒れることもしていないきれいなものだった。
少女が不思議に思うのも仕方がない。
男の仕事は、宝石商だ。
しかし、あまりいい仕事をすることができていないようだ。
それを助ける意味も含めて彼にはもうひとつ、仕事がある。
人の形をしたものをつくる仕事-人形士という仕事だ。
主に金持ち相手の商売として、彼は人形をつくっている。
愛玩用ではない、観賞用のためだけの人形を。
その完成度は、他の人形士のつくるものをものともしないものがある。
まるで生きているかのような、そんな人形を彼はつくりあげる。
「ああ、もう列車が出てしまう」
駅の改札を抜けて、二人は走り出す。
「なんでもっと余裕もってこなかったのよ!」
少女のあげる怒声に男は苦笑いをした。
「はは、忘れ物をしてしまってね」
「時間厳守!守ってよ!」
少女はさらに声をあげた。
列車が、発車の合図の鐘を鳴らす。
「間も無く、樹狩行き夜行列車、鴻が発車いたします。おきゃくさま、乗り遅れのないよう…」
アナウンスが流れた。
列車の扉はもう目の前だ。
飛び乗って、すぐに扉が閉まった。
二人の息は荒い。
「もう…動くのいや…」
「は、はは…ごほっごほっ」
男は咳き込む。
「とりあえず、席にいこう」
ゆっくりと立ち上がって、男は少女の荷物をもつ。
てくてくと歩いて、切符に書かれた番号のある席を探した。
その後ろをゆっくりとした足取りで少女はついていく。
男の羽織の背に描かれた鬼の絵姿。
ナントカ、という鬼だったのを聞いた覚えがある。
しかしそれもうろ覚えだ。
「夜行列車、鴻、発車いたします。目的地でございます樹狩到着は、明後日の夕方、十八時となっております」
車掌のアナウンスが、各所にあるスピーカから流れてくる。
「尚、途中、柄蛾等背へ明朝六時、都魔楽へ十五時、吼千峡へ二十二時に到着後、明けてさらに明後日の朝十時に麒麟坂へと途中停車致します」
ずいぶんと途中で止まる駅が多いものだ。少女は思った。
「夜行列車、鴻、先頭一号車は運転席と車掌室、第一機関室となっております。二号車から五号車、八号車から十一号車は客室車、六、七号車は食堂車となっておりまして、売店もございます。十二、十三号車では書簡の貸し出しを行える図書車となります。十四号車から十六号車まではまた客室車となりまして、十七号車、十八号車は職員の宿車、十九号車は鴻の歴史を知ることができる展示車でして、二十号車は第二機関室、複車掌車となっております」
それではよい旅を、と言ってぶつりとアナウンスはきれた。
「あった、ここだ」
男は目的の場所へとたどりついたらしい。
「ここだよ、はやくおいで燐」
男との距離は、ひとつの車両の半分ぐらいの間があいていて。
久々に名前を呼ばれて、少女は少しうれしくなった。
「わかってる、わよ」
それでも少女はゆっくりと歩を進めていった。
少女の名は、阿佐酉燐。
「御津耶さん、すぐいくから」
少女もまた、男の名を呼んだ。
御津耶、と、呼ばれた男。
神崎御津耶。
前述のとおり、仕事は宝石商、副業として人形士をしている。
燐と、御津耶。
二人の旅は始まった。
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