覚王山アパートと無印さえありゃ、生きていけるんじゃないかと錯覚を覚えた。
私は今日、かねてからの友人である成田氏の個展「七分半の夢」を見に行くことになっていた。一人で行くのではなく、兄弟と行くことになっていた次第だ。
この兄弟というのは実弟ではなく、そう呼びあっている間柄だからそう表記するのである。名をメシアという。
二人連れ立って、いや、彼と二人だけで出かけるとか久々じゃないか、と私は思う。昼食を一緒にとり、互いの近況報告もかねて笑いあう。
買い物を済ませて、成田氏のいる覚王山アパートへと足を向けた。
東山ほどは遠く非ず、かといって栄ほどの近さにも非ず。住宅街と大きな道路に挟まれた環境にそこはある。
見るものすべてが、心を揺さぶるものばかりである。商店街も活気があり、なかなかにどうして魅惑的すぎる。
覚王山から少し歩いて、日泰寺を目指して歩けばすぐに見つけることができる。
あの環境はなかなかに、私にとっては新しく感じる。もっとあの場所を見て、あの場所を好きになれたらどれだけ気分が舞い上がろうか。少なくとも、私はあの場所に住みたいと思う。
覚王山アパートは、旧いアパートを改装してつくったものだそうで、なかなかに趣のある場所であった。私が見たことのないもの、私が理想として求めているものがあそこにはあったのである。
成田氏は、春に会った時より幾分か線が細くなっていたらしい(これはメシアが気づいた)。そのあたりに気づかぬあたり、私は人の外見に興味がないのかと疑われてしまいそうだ。
成田氏の撮った写真を初めて見たのは、いつだったろうか。07年の文化祭の時だったろうか。それとも某SNSだったろうか。いずれにせよ、衝撃を受けたのには変わりない。
私も趣味で写真を撮ったりはするが、成田氏が撮るやうなものは一向に撮れない。メシア曰わく「構図」が考えられているからだそうだ。
考えたことがなかった。
せっかくのカメラを購入したのにも関わらず、時間がないだの余裕がないだので適当に撮った写真しかない。
今までと同じ写真の撮り方しかしておらなんだ。
結論は、「構図」を考えることとして行き着いた。
成田氏の撮った写真の中で、私は「ばら色」に惹かれた。
耳。
その写真に写る人物の耳が人外のものであったのだ。
これには非常に心を惹かれてしまった。射止められたと言っても過言ではない。
それほど「ばら色」は私を魅力した。
二時間と少し、ゆったりとした空間にいた。私とメシアは、メシアの予定があったので帰ることにした。が、メシアに時間の余裕ができたので日泰寺を見ようということになった。
しかし、寺なので閉山は早かった。
その後成田氏と少しお話をし…よく考えてみれば今日、私はあまり、人と話をしてはいない。
睡魔が私を襲撃してきたので、私は寝ます。
メシア、今日はありがとう。忙しいなか余計にありがとう。
成田氏、今日は楽しかったです。また近いうちにでも、遊びましょう。
では。
わあああああ