戸惑いを隠せないでいた俺を遼は見上げている。
虚ろな視線は、どこか遠くを見つめたままだ。
「遼……おい、大丈夫か」
声には反応するが、目の焦点はあっていない。
ひとまず、車に戻ることが最優先事項であることはわかった。
冷たい。遼の体を抱き上げてそう思った。まるで死んでいるかのような冷たさだった。か細いが息はしている。
遼の体は、何なのかわからない透明な液体にまみれていた。それは、まるで肉の柱のようなものにもまとわりついていて粘液のようにも見えた。それが何かを突き止めるのも今は必要なのだろう。けれど、彼女を想うが故に俺はこの場を後にした。
今はそれよりも先に遼を。
遼が落ちないように、カタナの後ろに座らせる。俺が来ていた上着を遼にかけて、袖を俺の体の正面で結んだ。
セリはおとなしくなってはいたが、逆にそのおとなしさが怖かった。陽は既に暮れ、灯りがないと見えないぐらいの暗さだった。
やはり、人の気配がないというのは不気味だった。街中だというのに、人っ子一人見当たらない。それ故に、訪れている静寂がここにはあった。
普段ならまだ民家には明りが灯っている時間帯だ。
世界が崩壊して、それすら見れなくなった。
いったい、どうなっていくんだろうこの世界は。
ぼーっとしている暇もなく、カタナを走らせる。
すぐに車について、ゆっくりと遼を抱えて降りる。
まずは体を綺麗にしてやらないといけないと思い、車の中に連れ込む。
そういえばこの車にはシャワールームが完備されていたはずだ。
……少し無理があるんじゃないか?
いや、でも、この車をくれた人自体、無理がある人だと思う。
俺が心を読めない相手なんて、いるはずがないのに。
そう考えている間に、シャワーの温度は比較的温まった。
「遼、立てる?」
ぐったりしている彼女を抱き起こす。
さっきより体が冷たい。
「……け……く……」
掠れた声で何かを言う。それが何なのかわからなくて、もやもやする。
そうだ、心を読めば。
でもだめだ。遼の心は読まないって決めたんだ。
「とりあえず、シャワー浴びて、それからどうするか決めよう」
頷いたのかどうかも確認しないまま、遼の服を脱がす。
よかった、こういう状況でも興奮とかしなくて。
本当にそう思う。相変わらず綺麗な肌をしているが、体のどこにも傷のようなものはないし、痣なんかも見当たらない。
やっぱり、良家のお嬢様ってことなのか。
俺がそう思うのには理由がある。
ひとつは、俺と同じ歳で一人暮らしをしているということ。
これは、俺の歳ならある程度の人が経験していることかもしれない。
だが、根本的なところが何か違うのだ。
その証拠に、何度か俺は黒服の男が遼の付き添いで迎えに来ているのを見ている。
今まで、気にしたことはなかったけれど。
もうひとつは、通帳の中の残高だ。
これが異様に多い。
桁が八つあるのは確認したが、それ以上は見ていない。
株か何かでもやっているのかと思えば、そうでもない。
気になる節はいくつもあれど、彼女は彼女だ。
俺としては、俺を認めてくれた人だからというだけの理由で一緒にいるようなものだ。
って、言ったら怒るだろうな。
きちんと好きだって、言えたらどれだけいいことだろうか。
そういうことを考えながら、遼の体を洗ってやる。
寝かせるにも、まず体を綺麗にしてやらないことにはどうにもできない。
無気力な人間というのは、こんな感じなのだろうか。
まるで生気の抜けたような、そんな感じだ。
体を洗い終えて、服を着せる。
下着を着させるのに苦労したのは言うまでもない。
とりあえず、寝かせることにした。
どうすればいいのかわからない。
こんなときに、あの男がいれば。
何か知っているかもしれないと思った。
セリはいつの間にか眠っている。
俺は、遼の隣に座り込んだ。
「遼……」
無言で、瞳だけを動かして、俺を見る。
不安だろうに。
何が起きているのか、自分でもわからないだろうに。
彼女の手をにぎってやる。
まだ、まだ冷たい。
俺はどうすればいいのだろうか。
ひょっとして、このまま彼女は死ぬんじゃないのか。
そんな不安がよぎる。
でも、その不安に押しつぶされないように。
彼女を守らなければいけないのは、自分なのだと。
月が綺麗な夜だった。
俺はずっと、彼女を見ていた。
ただ、それも少しの間だけのことだった。
月が隠れて、あいつが来るまでの。
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