それは俺を揺さぶり、記憶をまだらに溶かしていった。
聞きなれた声に耳を疑う。
「どうしたのですか? わからないわけじゃないでしょう」
兄妹の声が、抑揚のない状況で変化を遂げる。
それは聞いていて耳障りなもので、俺も葵も思わず耳をおさえることになった。
感覚は黒板を爪で引っ掻いたような音に近く、耳元でそれをやられているかのような錯覚に陥る。
「それにしても、何故こんなところにいるのですか、あなた方は」
それはまた、奇妙に音を変えていく。
聞き覚えのない声が耳をつんざく。
影もまた形を変えていく。
「憎いとは言わない、辛いとも言わない。でも駄目。あの娘なんかに、千字さんは渡さない」
高いトーンの女性の声に聞こえる音となり、それはハウリングを起こす。
意味のわからない言葉ともとれない音を発した後、それはある一定のトーンを得て、こちらに話しかけてきた。
「私を、助けに来てくれたのよね」
それがどれだけ重たい言葉だっただろうか。
葵には通じなくても、俺には通じた。
まるで呪詛のように、その言葉は俺を貫いた。
「ね、そうなんだよね」
その声は、誰であろう九支枝優子の声。
勉学を共にし、一時期は親密な関係でもあった彼女。
殺人鬼に殺されてしまった、彼女の声だった。
無論、姿形があるわけではない。
それは影だけなのだ。
理解しているはずなのに、理解できない。
それが何故そこで、俺の大事な友人たちを真似ているのか。
もう既に会うことのできない彼らの幻聴を聴かせてくれるのか。
「ねえ、四塚」
名を呼ばれ、それは近づいてくる。
「会いたかった、よ」
声はぐるぐると、殺人鬼と、九支枝と、見知らぬ女の声がぐちゃぐちゃに混ざり、俺の耳に届く。
その時ふっと、俺の背中を押す感触に気がついた。
一歩前に踏み出して振り返ると、頑なな面持ちの葵がいた。
何も言わず、真剣な眼差しで俺を見ているだけだ。
そうか、ああ。
葵が言わなくても、わかっていたのだ。
それを見いだせなくて留まろうとしていた俺がいけない。
踵を返して、影と対峙する。
「ねえ、そうなんでしょう?」
未だぐちゃぐちゃと音を変える声に、俺は言い返す。
「違う」
一呼吸置いて、俺は口を開く。
「お前たちは、もういないし、俺たちはお前たちに会いに来たわけじゃない」
影が言葉を発しなくなるまで、時間はかからなかった。
「世界が生きていることを確かめに来たんだ」
to be continue the next story →「それでも世界は生きているから 四塚と葵篇」
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