「鳥かごに二つの扉があるとしよう。その鳥かごの扉がどちらも開いていたら、中の鳥は逃げてしまうだろう? だから、両方に鍵をかけておいて逃がさないようにするのさ」
私の12歳の誕生日が過ぎて少しした頃、兄はふと言ったのだった。
私には何のことを言っているのかわからなかった。大体、鳥というものをきちんと見た記憶が私にはない。大して興味もないのだが、昔はそんな鳥を飼うことをしていたそうだ。
なんでも、羽があって小さかったり大きかったり、彩り鮮やかな毛色だとか聞いたことはある。それでも、古い話だ。今はいない祖父から聞いたことがあるだけだった。
その翌日、兄は古い本を熱心に読んでいた。私は興味を持たなかったが、兄はずっとそれを読んでいた。興味がなかったはずなのにタイトルだけは覚えている。
「世界の拷問全書に、完全自殺計画、ある殺人鬼の……兄さん、趣味が悪いですよ」
このころから部屋は別々だったため、辞書を借りに行った時に、私は何の気なしに言った。
「こんな本ばかり読んでいては、お祖父様に叱られます」
別の本を読んでいる兄は、一度、目線だけを私に向けた。
「何だい、気に、なるのかい」
一呼吸おいて顔があげられる。
ニヤついた顔が、私をまじまじと見てくる。
「そうではなくて……お祖父様に叱られると言ったのです」
床に積まれた本を棚に戻しながら、兄を見る。
頷きつつ返事はしているが、視線は再び本に向かって離れない。まるで何かに取り憑かれたかのように、本に熱中している。
「もう……私は言いましたからね」
「聞いたよ。確かに聞いた」
顔だけを私に向けて言う。
「じゃあ、私は先に休みます。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
背中にその声を聞いて部屋を出る。
居間から時計の鳴る音が響いてきて、十時を告げる。眠らなければならない時間だった。
私は部屋に戻り、ベッドに入った。
いつしか眠りについた。
その夜はひどく静かな夜だったけれど、何もなかった。
時が経つにつれて、兄の読む本はその柄を変えていった。サブカルチャーな本を読んでいたと思えば、次に見た時にはエッセイ集を読んでいた。時期によって読んでいる本がばらばらだった。いや、時期どころの話ではなかったように思う。連日違うジャンルの本を読んでいた。
私はそれを見て、見よう見真似で本を読みはじめた。私の食指は哲学書に伸びたが、どれもこれもがどこか魅力にかけていた。
そうこうしているうちに、兄を心配する一方で私は兄自身を真似るようになっていった。
母の胎内にいたころに一卵性双生児であったことから、私と兄の外見はほとんど同じであった。身長や体型に関してもほぼ同じであり、顔立ちすら私たちは同じだった。
声の質まで似てい、小さいころは二人並ぶとわからなくなると言われていたので、同じ格好をしていれば完璧にどちらがどちらなのかがわからなかった。
高校進学の時も、同じ高校を選んだ。
兄は何も言わなかったけれど、それは言わなくても思っていることを理解していたからだ。
この頃ともなれば、兄は高校に行くことと本屋や図書館へ行くこと、高校でできた友人と遊ぶ以外は外出をしなくなった。遊ぶと言っても喫茶店でのんびりと時間をかけて話をするだけだったが、私はそれにもついていった。ただひたすらに兄と同じことをしようと考えていた。
私が私を保とうとした時、基本であった私の人格は兄と一緒に過ごすことでつくられていたのだ。誰でもいいわけじゃない、兄だから、あの人だから私は真似をしようと思ったのだ。
高校でできた友人とは、深く深く付き合うようになった。まるで昔から知っていたかのような感覚だった。
彼は妹である私を友人として認めてくれた。友人の妹としてではなく、一人の友人として。私はその気持ちが嬉しかったし、なによりもまず私にとっての人生で初の男性の友人であった。
時に熱く語り合い、涙し、情熱を込めて、笑いあった。
それもつかの間、兄のとった行動が私たちを平穏な日常から切り離した。
兄と一緒に私は買い物に出ていた。
重たい荷物を持ち、両手のふさがった兄と、軽い荷物だけの私が並んで歩く。
暗い夜道だった。街頭も、ぽつぽつとしかないような道。
月明かりだけが道を照らしているような場所だったのだ。
ふっと私たち以外の人の気配を感じた。
振り向くと、私は何者かによって首元にナイフを突きつけられた。
「ひっ!?」
声からして、そいつは男だったのだろう。そういえば、この道は通り魔が出ると聞いたことがある。
月明かりにぎらりと鈍く光る刃がとても印象的だった。
「動くなよ、女、死にたくなかったらな」
そいつは、私を人質として、兄に向かい合った。
「おいお前、金、持ってんだろ」
兄は何があったのか、一瞬迷ったようだが、すぐに私が人質にとられていることに気づいたようだ。
「妹を、は、離せ!何だ、何なんだあんた!」
いつもの兄とは裏腹に、声が張りあがっていた。
「へえ、妹か、あんたの」
ナイフの切っ先が、ちくちくと首を切りつける。
私はできるだけ動かないで、声も出さないようにじっとしていた。
でも、身体は震えている。
恐怖に慄いているのだ。
「わかったなら、金を出しな。そうすりゃ、妹は助けてやるよ」
まるで、漫画か何かの悪役の台詞だった。
こういう輩は、大概やられてしまうのだが、この周辺には民家なんてないし、誰も気づくことはないだろう。
兄は言われたとおりに財布を出して、それを足元に投げてきた。
「へへ、物分りのいい兄貴だな」
男は、私を抱えたまま足元の財布に手を伸ばした。
すっと、ナイフが私の首筋を逃れた瞬間を兄は見逃さなかった。
本当に、一瞬の出来事だった。
兄はナイフを持つ手を蹴り上げて、男から私を引き剥がした。
男は衝撃で前のめりに転んで、ぎゃあと悲鳴をあげた。
地面に落下したナイフを見逃すことのなかった兄は、それを拾い上げて男に駆け寄った。
ふらふらと立ち上がる男がこっちを振り向いた時には、兄の手の中のナイフは、男のわき腹を貫いていた。
声にならない悲鳴をあげる男をよそに、兄は何度も何度も男の腹を刺した。
私はそれを呆然と見ていただけだった。
一瞬のうちに何が起こったのかが理解できないということもあったが、私はただ見ているだけだった。
気がついたら家にいて、いつの間にかパジャマに着替えてベッドに座っていた。
私は何があったのかを理解しきれずに、そのまま床についた。
翌日の朝刊には、惨殺死体と大きく書かれている記事があった。
それは、私と兄が昨夜直面した通り魔のことだった。
私は、兄が捕まるのではないかとびくびくしていた。
その日を境に兄は部屋に閉じこもるようになった。兄が部屋から出てくるのは、大分先の話になる。
それから何日経っても、兄が捕まるようなことはなかった。それどころか、警察が家に来るようなこともなかった。
どういうことだろうと、私が気にかけていると、ある日兄から部屋に呼び出しがあった。
兄に会うのは、通り魔のあった日から数えても、一週間ほどだったと思う。
私はいつもと変わらぬ兄に事情を聞いた。
まず、あの男はやはり通り魔だったようだ。あの日も標的を探していたらしい。そして、私たちを見つけたので、襲い掛かってきたということだった。
兄があの通り魔を刺していたのを私は見ている。その後、何故捕まらないのかを私は聞いた。
まず、証拠として残りそうなものはすべて持ち帰ってきたそうだ。荷物から何から、通り魔を刺したナイフも。
そして、放心状態だった私を連れて家に一度帰ってきて、もう一度現場に向かった。
そこで丹念に証拠になりそうなものを探して、帰宅したということだった。
そういうことだったのかと私は思ったが、これは正当防衛になるのではないかと兄に言った。
しかし兄の答えはこうだった。
「変に警察に目をつけられたら、まずいだろう」
最初はそれが何を意味するのかがわからなかったけれど、私はすぐにその言葉を受け止めることになった。
「目的を持って、僕たちは人を殺そう。そうだな、名前は」
to be continue the next story →「殺人鬼篇2」