世界崩壊の日から、何日が経ったのだろうか、正直検討がつかない。というのも、私が今ここにいるということは、世界が崩壊したにも関わらず、私たちはまだ神様には見放されていないということになる(神様がいるのならばという前提をこめての話だが)。
世界がまだ私たちを必要としていると信じて、私は歌を。
寝苦しく感じたのは、見知らぬ部屋で眠っていたからではない。
私が今使っている布団が、柔らかすぎるからだと思う。その点で言えば病院のベッドはもう少し弾力があり、私好みだったと言える。そもそも、病院に好んでいたわけではないのだけれど。
隣に眠る、一人の少女。
私より身長が低くて、どこか男の子みたいな子。寂しがり屋でいて誰よりも勇敢なマリィ。
私の愛するマリィが、すぐ隣にいる。彼女を忘れてしまっていたことを悔やんでも、悔やみきれないことを理解しているしいくら何でも仕方のないことでは済まされないだろう。
彼女自身に許してもらえないのなら、私はどうすればいいのだろうか。
再会を果たして、彼女は倒れるように眠ってしまった。イソロクさんが部屋をあてがってくれたので、私はマリィにつきっきりでいた。いつの間にか眠っていたみたいで、私にも布団がかけられていた。誰かがかけてくれたのだろう、後でお礼を言わなければならない。
早く、起きないかな。
私だって、眠っている彼女を起こすだなんて野暮なことはしたくない。
互いに、万全な状態で話がしたい。
いくつも話したいことはある。
それよりも、彼女と触れ合いたい。
表面的なところでなく、もっと芯の部分で。
「ん……」
寝顔をみつめていたら、マリィがうっすらと瞳を開いた。
「……んー……」
のそっと起きあがり寝ぼけ眼で私を見る。
「ハイネ……」
「なあ、に?」
呼ばれたので答えたが、返事はない。
どうしたのだろう。まさか呼んだだけとか、ないよね。
等と考えていると、マリィが両手を大きく開き、私を抱きしめた。
「マリィ、な、なに、どうし、たの」
急すぎて私は狼狽する。
そんな私をよそに、マリィは私に抱きついたままずるずるとさがっていく。
何をするのかと思いきや、彼女はそのまま眠ってしまった。
「……」
正直なところ、何だかがっかりしたが、今何かされても私としては心の準備ができていないから対応しきれない。
二人のこれからを決める、話もしないといけない。
その結果がどうであれ、私は生きていかなければならない。
このまま二人の関係が続くのか。
それとも離別するのか。
苦汁を飲む覚悟はある。
後は、私が耐えられるかどうかだけ。
マリィ、私ね。
「マリィ、のこ、と、愛し、てるわ」
窓の外は未だ暗く、まるで二人の間を引き裂かんかのごとく、雷鳴が鳴り響いた。
「ハイネ、おはよ」
「あ……おは、よう、マリィ」
何だ、今の一瞬の間は!?とツッコミそうになるのを抑えて、僕は笑顔を保つ。
ハイネが少しよそよそしく感じるのだが、一体なんだろうか、気のせいだといいなあと思う。
僕が見たいのは、君の笑顔なのに。
朝になったら、隣にハイネの姿はなかった。部屋を出ると、なんだかいい香りがしたので、それにつられて僕は足を進めた。小さなキッチンに、ハイネと、男性が一人立っている。どうやら朝食をつくってくれているようだ。
「ああ、よく眠れたかい」
男性が振り返り、僕に問いかける。僕は少しの逡巡の後、気軽に答えることにした。
「うん、おかげさまで。この通りピンピンしてる」
軽く跳ねてみたり、身体を動かす仕草をしてみた。
「元気そうだね」
男性は中断していた作業に引き続き取りかかり、ハイネはその人の指示に従って手伝いをしていた。
怪しい人じゃないのは理解した。この男性は、四塚さんという人らしい。お姉さんである葵さんとデキているとハイネから聞いた。
僕が別の世界の住人だということも知っているみたいだ。きっとハイネが話したのだろう。
二人の後ろ姿を眺めていると、大きな男が目の前を通り過ぎようとして戻ってきた。
「おお、体調はよさそうだな」
厳つい体格の、イソロクさんだ。僕がこちらの世界に戻ってきて、最初に会った人だ。
会って間もない僕やハイネに、布団と部屋を貸してくれて、そのうえ食事まで食べさせてくれる。今の僕たちにとっては神様に近いものがある。
「ちっこいから体力なんか無さそうに見えるんだがな」
ガハハと笑うイソロクさんにイラッとして、目の前にある足を見て、思いっきりスネ目掛けて蹴り上げた。
「……!!」
響く振動、声にならない叫び。
をあげたのは僕だった。いくら靴をはいてはいても、ここまで固いとは思ってはいなかった。
「さて、働かざるもの食うべからずだ」
足をおさえる僕をおいて、イソロクさんは本の山に消えていった。
鉄か何かを仕込んでいるのかというぐらい彼の足は堅かった。よっぽど鍛えているのかもしれない。
悔しいなあと思いながらも、僕はその場でハイネを眺めることに専念した。
まだ何も知らない僕にとって、それはとても穏やかな一日の始まりだった。
そう、勘違いできるぐらいの、幸せだったのかもしれない。
朝食の後、私はマリィと二人だけにしてもらった。用意された部屋は、階段をずっとあがった先の広々とした部屋だった。
雑に本が積まれた部屋で、互いに隣あって座るぐらいのスペースしかない。フローリングが冷たくて心地よい。横顔を覗いた。マリィのその真剣そうな表情に、私は少しだけ緊張する。でも、そればかりでもいられない。
彼女と決別するかもしれない、このあとのために。
空気が淀んでいるこの部屋で、窓を開けたい衝動にかられる。しかしその窓はマリィの向こうにある。何も言わずに立ち上がり、窓へと手をかける。キィと音を立てた窓が開かれ、風が流れこんでくる。
世界が崩壊しても、風はなくならなかった。
少しだけ見える街の景色は崩れたビルばかりを私の視界に映す。下を見ると、大分高いところにこの部屋があることがわかる。
「ハイネ」
後ろから抱きしめられる。心地の良い暖かさが私を包む。
「マリィ……」
左肩に重さを感じる。彼女の鼓動が、身体を通して伝わってくる。
つい、この間出会ったばかりなのに。
「寂しい思い、させちゃったね」
首筋にかかるマリィの吐息が少しだけくすぐったい。
「もう、戻ってこれないかと思った」
悲しそうな声、私にはそれが何故なのかわからない。
「なに、か、あった、の?」
「……実は、ね。この一週間の間、僕は元いた世界に帰っていたんだ」
元いた世界?マリィのいた、ところ?
「僕自身、どうやって向こうにいたのかはわからないんだ。ただ、世界崩壊の日、ハイネと一緒にいたのは覚えてる」
マリィは私の唇を指でなぞってとめた。
「僕は、君といたことを忘れてしまっていた。思いだすまでにそんなに時間はかからなかったけれどね」
マリィがそう言って私の口の中に指を挿れてくる。私はその指を、躊躇いもなく噛んだ。
「ごめんね、ハイネ。僕はまだ、君に話さなきゃいけないことが……」
言葉が途切れる。口の中で、新たな感覚が広がった。
「痛いよ、ハイネ」
いつもとは違う、弱々しいマリィを、私は気に入らなかった。
指を噛むのをやめて、口からだした。赤く染まるマリィの指を舐める。私が傷をつけた。
「ごめ、んなさ、い……」
私が、マリィに傷をつけたんだ。
「大丈夫、少し痛かっただけだし……」
あいたもう片方の手は、私の髪を撫でていた。
「君のことを思いだして、戻らなきゃって僕は思って。だから帰ってきた」
マリィは私から離れて、床に座り込んだ。
「おいで、ハイネ」
マリィの膝に、向かいあった状態で座る。私はこの体制が一番落ち着く。
互いに顔をみることができるのが嬉しい。
優しい顔をして、私を見てくれている。
「僕は大事なことを君に言ってないんだ」
まだ、指先は赤い。
その指先をまたくわえて、私は彼女の話に耳を傾ける。
「カムパネルラの話は、したことがないよね。僕が最初に愛した人で」
私はそれを聞いて戸惑いの表情を浮かべる。
「愛、した人……?」
「うん、愛した人。そして」
彼女は二の句を告げようとしている。しかし、口を開くのが辛そうだ。
「……言いたいんだけど、なかなか難しいね」
苦笑いをしているマリィに、私は言う。
「私、も、あなた、に言わ、なくちゃいけな、いことが、ある、の」
マリィの穏やかな表情が少しだけ曇った。
「だから、ね、言って、ほし、い」
まっすぐに彼女の瞳をみつめて。壊れてしまう可能性を置き去りにしないで。ただ、思うことを、お互いが言うために。私は、マリィの頬にそっと手を伸ばし、キスをした。
甘い甘いキスを、彼女の唇に。
「……ね?」
マリィの顔が赤くなり、可愛らしくみえた。
「うん、言うよ」
一度深呼吸をして、マリィは私をみた。
「カムパネルラは、僕が最初に愛して、そして」
窓の外には、一匹の蝶が飛んでいた。誰も見たことのない色をした、綺麗な蝶が。
「僕が、殺した人なんだ」
マリィは語りはじめた。
「……僕はカムパネルラの全てが欲しかった。誰にも渡したくなかったから、殺したのかもしれない」
マリィがそう言い終えたのは、話しはじめてから、二度時計が鳴った後だった。
私は全てを聞き漏らさずに聞いていたし、マリィも時折私を心配してくれた。
「こんな、人間なんだけどさ、僕は」
どこか遠くを見ていた視線が、私に向けられた。
「君は……ハイネは、僕を許してくれるかい」
何故か、心臓がドキドキする。
こんな弱々しいマリィは、初めて見る。どこか怯えたようなそんな表情で、私をじっと見ている。
「マリィ……」
そっとマリィの髪に触れる。
手を伸ばすと、一瞬彼女は体を強ばらせた。
「私が……怖い、の?」
別に、嫌みでもなく気になったから聞いただけなのに。
「あ、いや、そうじゃないんだ、うん、ね」
マリィは狼狽えて、私を見上げる。
「そ、う」
とは言っても、心なしか震えているように見える。
きっと、私の答えを待っている。
マリィの覚悟を、私は受け取ったのだから、今度は私が話をする番だ。
「マリィ、落ち、着いて? 大丈、夫、だから」
そっと抱きしめて、マリィをあやす。
まるで子供みたいなマリィを、私は愛しいと感じた。
「答え、を、だすま、えに、私の、話、いいか、な」
マリィが顔をあげて私を見る。
怯えた瞳が、私の欲望を駆り立てる。
ああ、今すぐに、今すぐにでもマリィを抱きたい。マリィの身体の隅々までを私色に染め上げたい。このまま彼女の衣服を裂いて、泣きじゃくって怯える彼女を犯したい!
ああ、それができるのなら、できるのなら……。
「私、は、ね」
大きく息を吸って、吐いた。
「兄、様の、恋、人を、殺し、て食、べたわ」
私の口は、まるで機械のように言葉を発していたようだ。
私を見るその瞳は逸らされることはない。
「そし、て、私は、彼女を食、べた」
目に浮かぶようだ。
あの時の光景が。
「私、の、愛し、た人を、とっ、たから、そう、なった、の」
その先は、言わなくともわかるように。
黙ったまま、私を見つめるマリィ。
怯えたままの少女は、ゆっくりと口を開く。
「それ、に」
先に私が言葉を発して、少女に何も言わせない。
「私は、これか、らも、歌い続、ける、わ……そ、れがひどく、快感であ、ることを、知っ、てしまった、から」
それでも。
「マリィ、あな、たはそ、れでも、私を」
蝶はいつの間にか、部屋の片隅の、ライトの上に止まっていた。
外は、暗雲が立ち込めており、まるで私たちの心を映し出したかのように見えた。
雷鳴が轟き、マリィの身体が跳ねる。
私が抱きしめて、彼女を支えている。
ずきりと喉が痛むこともなく、私は次の句を告げる。
「私、を、愛し、てくれ、ますか……?」
それが、私とマリィのこれからのための区切りとなる言葉だった。
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