夜景の綺麗な場所で、見知った顔に出会った。
確か同級生だったと思う。
中学の時、一度だけ同じクラスになったんじゃないかと記憶している。
誰だったかは覚えていないのだけれども。
「月が綺麗ですね」
そう言ったのだ。
確かに夜空を見上げてみれば、月は綺麗だ。
でもきっと言っている意味が違う。
彼はその言葉の意味を、どこからか引用している。
とは言っても、引用先は一つだと思う。
それはいい。
こんなに夜景の綺麗な、この辺の人でも知らないようなところで、どうして彼と出会うのだろう。
偶然ではない、だろう。
けれど、彼を疑うかどうかなんてことはどうでもよかった。
今はこの綺麗な月を見ていたいだけ。
「隣、いいかな」
隣の空いた空間を指差して、彼は聞いてくる。
「別に」
一言そう返して、景色を見る。
彼は隣に座って同じように景色を見る。
会話はない。
高速道路を流れる光。
右から、左から。
建物の明かりが、ここからだと遠く綺麗に見える。
周りには森林しかない。
街に降りるには、8キロほど歩かなければならない。
だから、ここに来るには結構な距離を歩くか、車で来なければならない。
とは言うけれど、わたしは自転車をこいできた。
一時間もあればここまで来れる距離にわたしの家がある。
今日から夏休みで、おとうさんもおかあさんもわたしの外泊を許してくれた。
もちろん、外泊というのは間違っていないが、誰の家に泊まるわけではない。
この夜景が見たいがために、外泊という名の嘘をついた。
きっと気づいているとは思う。
ばれない嘘なんてないんだから。
「ねえ、なんでここにいるの?」
わたしは何の前触れもなく彼に問う。
「君を見ていたかったから」
驚く様子もなく、彼はそう言ってのける。
この暗がりに、目が慣れてしまって、彼の笑顔がよく見える。
きちんと見たことがないし、まず何よりも彼と話をしたことがなかったので、その顔の綺麗さに少しだけ驚く。
「あっそ」
「そっけないね、何だか、学校の君とは違う」
「え」
学校の、わたしと違う?
わたしからしてみれば、どこがどう違うのかなんて自分のことでもわからない。
ただ、なんで彼がそんなことを言えるのだろうと不思議に思う。
「はは、いつも見てるんだ、君の事」
そうか。
やはり、最初に彼のかけてきた言葉がそのままそっくりと。
「……言っとくけど、わたし、今彼氏いるから。わたしに何かしたら、痛い目にあうわよ」
自分の身を守るために、見え見えの嘘をつく。
彼は別に気にもしていないかのように笑う。
なんだろう、こいつ。
「じゃ、今日は帰るよ」
彼は立ち上がって、衣類についた砂を払った。
じゃあ、また学校で。
そう言って、彼は道なき道を歩いていく。
「ちょっと、最後に質問させて!」
わたしが大声で呼ぶと、彼は振り返る。
「本当は、何しに来たの?」
遠くから電車の走る音が聞こえる。
街の明かりは少しずつ消えていく。
虫たちが草むらで鳴き、時間の狂った蝉が喚いている。
「見上げてごらんよ」
彼は天を仰いだ。
わたしもそれに倣う。
「月が、綺麗ですね」
彼は闇の中に姿を消した。
頭上には、綺麗な月がわたしを照らしていた。
消えていった背中に、まだ間に合うと思って声をかける。
「明日も、ここにいるから!」
届いたかどうかはわからない。
少しでも、気になってしまったのだから。
わたしは小さな希望にかけてみた。
結局、夏休みの間はずっと彼には会うことがなかった。
わたしはずっとあの場所で彼を待っていたのに。
連絡をとろうにも、中学校時代のアルバムなんてどこにしまってあるのかわからない。
クラスの友達に聞きたくても、名前を覚えていないので聞くことができない。
いずれ会えるだろうと思っていたら、九月が終わってしまった。
夏休みの間、ずっと会えなかった上に、九月が終わった。
結局、それからもずっと会っていない。
「ユーコ、最近元気ないな」
隣の席の男子が言う。
わたしを心配してくれる、この学校でただ一人の友人だ。
「ちょっとね」
なんだろう、本当。
まさかあの男に恋でもしてしまったのだろうか。
そんなはずはないと自分で抗議する。
「ちょっと、とかユーコらしくないな」
笑って言われ、少しむっとする。
「別に」
「ごめんごめん、俺が悪かったよ」
彼が伸ばした手は、わたしの頭を撫でる。
「……別に」
気にしていない、という意味で口を開く。
その手は、ひとしきり私の頭を撫でた後、尾を引くこともなく離れていく。
少し名残惜しいと感じるのは、いつもわたしの方だった。
そうだ。
他の男なんかに恋をしている場合じゃない。
こいつがいるから、他の誰を見ることすらできないのだ、わたしは。
できない、違う、しないだけだ。
手のかかる、弟のようなこの同級生を。
ずっと知っていたけれど、仲良くなったのは最近。
「あ、ユーコ、今度家に遊びにいっていい?」
「うちに、来るの?」
思わず聞き返してしまう。
「うん。ユーコんとこ、昔からの日本家屋だろ? 一回ぐらい家の中見てみたいんだよ」
わたしに興味があるのかと、勘違いしてしまった。
別にこいつのことは嫌いではないから、断る理由はない。
「いいけど……おとうさんに聞いてからね」
「んじゃ、よろしくな」
にっこりと笑う。
その笑顔に、例の彼の笑顔が重なる。
窓の外から、一陣の風が教室内を吹き抜けていった。
ああ、もう秋が来るのか。
そうして、その後もずっとわたしは彼に出会うことはなかった。
それからこの同級生はうちに来て、両親とも妹とも仲良くなっていった。
わたしと同級生の道は、進学と就職で別れてしまった。
その後はそう何度も会うことはなくなった。
わたしは高校のころに出会った人と恋に落ちて、子供を身ごもった。
双子だった。
誰もがわたしを歓迎してくれて、誰もがわたしの中に宿った命を喜んでくれた。
子供たちは無事に産まれた。
男女の双子。
男の子には司。
女の子には灯。
そう名づけた。
二人の成長が、これから楽しみだ。
救急車が近くに来ているのだろうか。
感覚がおぼろげだった。
誰かに抱きかかえられて、呼ばれている。
タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。
呼ばれて、いるのか、本当に?
声が遠くに聞こえる。
視界も、ぼやけている。
どうしてこうなった?
わたしはただ、同級生とのお茶を楽しみにしていただけなのに。
タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。
同級生?
そうだ、同級生。
思えば、何度か彼と一緒に遊んだ記憶が。
斉原くんに呼び出されて、わたしは。
タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。
もう駄目だ、思い出せない。
眠たくなってきた。
おなかのあたりがあたたかい。
どんどん眠たくなってきた。
タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。
頭の中で悲しい曲が流れる。
タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。
わたしは死ぬのだろうか。
そういえば、こないだ四塚くんに会ったなあ。
おはなししようって、約束、したのになあ。
おとうさんもおかあさんも、悲しむだろうな。
ああ、そうだ。
タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。
司と灯に、悲しい想いをさせてしまうのだろう。
ああ、わたしは母親失格だ。
ごめんね。
わたしがみてあげなきゃいけないのに。
もう、触れることもできそうにないよ。
ごめんね、ごめんね。
あなたたちのことを、ずっと、みまもっているからね。
タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。タカタタタタタカタンタンタタカタカタタタカタンタンタンタン。
音が鳴り止まない。
でも、この曲は忘れられないから。
わたしはこのままどこか遠くへ。
「 九 支 枝 優 子 篇 」
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